2020年東京五輪イヤーを迎えようという2019年11月。都内で開催予定だった花形競技の男女マラソンが、国際オリンピック委員会(IOC)の意向で突如、札幌開催へと変更されてしまった。

 '84年ロサンゼルス、'88年ソウルの両五輪に出場している日本陸上競技連盟マラソン強化戦略プロジェクトリーダー・瀬古利彦(63)は記者会見で「IOCという組織の前ではどうにもできない。もし“東京でやらなきゃ困ります”と言ったら、“五輪でマラソンはやらなくていい”と言われるのではないかという思いがあった」と苦渋の表情で語った。

まさに『陸王』のシューフィッター

 有森裕子、高橋尚子、野口みずきなど数々の五輪マラソン・メダリストの“勝負靴”の製作を担当し、2006年には黄綬褒章も受章した競技スポーツ用シューズの職人・三村仁司(71)は、長くサポートし良好な関係を築いてきた瀬古の胸中を慮った。

「東京開催を睨んで、瀬古が中心となってわざわざ暑い時期の9月にマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)を実施するなど入念に準備してきたのに……。涼しい札幌開催になったら、アフリカ勢も走りやすくなるし、地元の利でメダルを狙っている日本勢にとっては明らかに不利になるよね……」

 神妙な面持ちで語る三村は現在、『M.Lab(ミムラボ)』というシューズ工房を兵庫県加古川市で運営している。2018年1月からニューバランスの専属アドバイザーに就任し、同社の契約選手である神野大地(セルソース)、今井正人(トヨタ自動車九州)ら五輪を目指すランナーをサポートする側に立っている。仮に彼らが来年3月の代表選考レースで好記録を出し、3枚目の代表権を手にしたとしても、会場変更によってシューズ作りや調整の難易度は格段に上がる。

 靴職人というのは、事前にコースを下見し、路面状態や気温、環境を事細かくチェックし、どんな素材がベストなのか、いかに選手の足にフィットさせるか徹底的に突き詰める。そのうえで、大一番に挑む1足のシューズを作る。三村はまさに池井戸潤原作の人気ドラマ『陸王』に登場するシューフィッターの先駆け的存在なのである。

ひとつの商品を作るのには1年以上、ソールから作れば2年もの時間を要します。これまで私は五輪や世界陸上に合計11回行っていますけど、メダルをとったランナーでもすべての物事がスムーズに運んだ人はいないと言っても過言ではありません。

 '92年バルセロナ五輪では有森が本番4日前に“足が痛い”と言ってきて、短時間で調整して走れる状態に直しましたし、2000年シドニー五輪でも足のサイズが左右微妙に違う高橋の靴のことでものすごく神経を遣いました」

 急転直下、札幌開催となった東京五輪のマラソンで、日本勢が躍進し、お家芸復活を果たせるのか。選手個人の能力や環境適応による部分も大きいが、シューズのよしあしも非常に重要なポイントと言っていい。