預金通帳の残額は400万円

シンガー・ソングライター沢田聖子さん 撮影/佐藤靖彦
シンガー・ソングライター沢田聖子さん 撮影/佐藤靖彦
【写真】オーバーオールを着た“イルカの妹”時代ほか

「失うものはもうなにもない」

 どこか吹っ切れるものを自分の中に感じながら、ひとりで歩き出そうとしていた。

「デビュー以来、レコード会社や事務所の力で動いていたものが、多少なりともあったと思います。ひとりぼっちになり、しがらみがすべてなくなり、よくも悪くも等身大でしかできなくなる覚悟をしました」

 たとえ音楽ができなくなっても居酒屋でアルバイトでもすればいい。音楽以外の仕事をした経験もないのに、沢田は楽観的に考えていた。それでもやはり歌いたかった。

「なにをどうしたらよいのか、さっぱりわかりません。いま振り返れば、デビュー以来、すべてを他人任せできたからですよね。誰かがなんとか自分を売り出してくれるとばかり思っていたんだなぁって」

 懇意のライブハウスに相談したところ、電話をしてスケジュールを調整するだけだと教えられた。

「どこもすぐにOKをいただけて、なんだ、簡単だと思いました」

 やりとりをするなかで、「沢田聖子は2度と使うな」と別れた夫が触れ回っているのを知ったが、どのライブハウスも沢田の肩をもってくれた。逆境にめげず、頑張ってきた姿をみんな見てきたからだ。

 次にライブで販売するCDを作ろうと思い立つが、預金通帳の残額は400万円。子役のときから働きつづけ、一時は人気アイドルになった沢田に残された全財産である。

 レコーディングアレンジャーの林有三さん(65)に相談すると、「自宅のスタジオでやれば、たいしてお金はかからない」と二つ返事で引き受けてくれた。沢田もギターを弾き、2人だけでつくったアルバムは『宝物』(2010年)。ポジティブなタイトルに一転した。以来、林さんはインディーズに活動の場を移した沢田のプロデューサーとして音楽を支え、2013年からは年間70回近くにおよぶツアーに同行してきた。

「聖子さんには鋭いところがたくさんあって、音楽の理論はなにもわからないと言いながら、ツボをよく心得ているんです。生まれ持ったセンスに長いキャリアが枝葉となり、彼女ならではの音楽を紡ぎだしてきました」

 経費を節約するため、林さんとギタリスト、マネージャーとともにワンボックスカーで、全国どこへでも移動する。沢田がムードメーカーとなり、車内はいつも和気あいあい。笑いが絶えない。