失敗しても誰にも責められない空間

 結局、3年間たっても効果が見られずカウンセリングは中止。その後、つなげてくれる関係者がいて、彼は市川市にある、いわゆる自立支援のNPO施設に自らの意思で入った。このままひとりでいてはどうにもならないことを、心の奥深くでわかっていたのかもしれない。

この施設が自分に合っていたんです。寮なんて入ったこともないから今まで知らなかった異空間です。それなのに居心地がよかった。私はここでたぶん、子ども時代をやり直せたんだと思う。何か失敗しても誰にも責められないし、ちょっとしたことでもスタッフが褒めてくれる。自主的に当番制で料理をするのも楽しかった。職場経験として、その施設の関連保育園や老人施設で働くこともできます。

 ときどき、新しくひきこもりの人が入寮してくるんですよね。彼らを見たり接したりしていると、自分を振り返ることにもつながっていく。人間関係がうまくつくれない人を見て、私自身もそうだなとか、もうちょっとこうすればいいのにとか客観的に見ることができました」

 こういう自立支援施設は賛否両論あるが、彼は「無理やり引き出されて寮に入れられた」わけではなく、自らの意思で入所した。だからこそ、苦手な集団生活でもなんとかやっていくことができ、むしろ他人と交わることで新たな気づきがあったのだろう。

「同じ入寮者で、音楽好きな人がいたんですよ。ギター、ベース、ドラム、キーボードができて歌も歌える。この方に感化されてギターやキーボードもいじり始めました」

 結局、この施設で6年を過ごした後、マニラの同施設の事務所で4か月間、働いた。

「これがまたカルチャーショックでした。東京では時間に追われてあくせくしますが、マニラでは時間がゆったりと流れていく。現地の人たちと一緒に働きましたが、みんないいことはいいと認めてくれるし、私なんて歌を歌っているだけで褒められた(笑)」

介護の仕事とライブを両立

 2013年、44歳で日本に戻ってきた彼は、ようやく「自分らしく生きる」道を見つけた。やはり音楽をやりたい。プロとして活動できるかどうかはわからなかったが、好きな道をまっすぐに歩いていきたい。音楽への情熱は誰にも負けないとはっきりわかったのだ。同年、知り合いに誘われて初ライブも果たしている。

 その後6年間、介護の仕事で生活を安定させながらプロについてジャズボーカルの勉強を続け、昨年夏に独立した。あるところで働いているとき、「歌の師匠」と言える人に出会い、その人の紹介で少しずつライブハウスなどで歌う機会も増えてきている。自立支援施設から帰ってきてからというもの、彼自身も考え方が大幅に変わった。

「例えば訪問介護の場合、どうしてもその家の人と折り合いが悪かったりすることもあるんですよ。以前だったら、自分はやっぱりダメだと思って落ち込んでしまうけど、今は折り合いが悪いのはしかたがないと“あきらめる”ことができるようになった。気持ちを切り替えて、また別のところで働けばいい。必要以上に自分を責める必要はないとわかったんです」