施設で「子ども時代をやり直した」からこそ、自罰でも他罰でもなく、「運が悪かった」「縁がなかった」と誰のせいにもすることなく軌道修正をすることができるようになったのだろう。それは母親との関係にもいえることだ。

「母はけっこう激しいところのある人で、それが外に向かっていくタイプなんでしょうね。離婚して親戚の家に行ったときも結局、親戚とケンカして家を出ざるをえなかったし。私も母の資質を継いでいるんでしょう。私自身はその激しさが内に向いてしまう。おそらく、家族の機能不全は、母の家も父のほうも代々続いていたんじゃないかなと思うんですよ。それが私で一気に吹き出したというか。ただ、私はある時点で母をあきらめた。母のほうも私が施設に行ってからはあまり干渉してこなくなりました」

 母の本質は変わっていないだろうと彼は考えている。ただ、自分で自分を認められるようになってきているから、「どうしても親に褒めてもらいたい気持ち」はなくなってきた。親ではなく、他人が認めてくれることを経験したのは大きかった。なにより自分が自分を認めればいい。そう考えられるから、気持ちがラクになっている。

「30年以上、自分のやりたいことをはっきり言い出せずに、敷かれたレールに乗っていただけだと思うんです。だからやり残したことはたくさんある。音楽活動も英語の勉強も。親との確執に気持ちを傾けるのは時間がもったいない」

夢を叶えて手にした自信

 ライブに出演するようになってから、母はときどき姿を見せてくれる。日常的に干渉してくることはなくなり、ライブハウスがお互いの生存確認の場になっているそうだ。

「両親が離婚してから父親には会ってなかったんですが、居場所がわかって会いに行ったことがあるんです。留守でしたが、近いうち、連絡をとってみようと思っています」

 もはや彼は誰も責めていない。両親も親戚も、そして自分自身のことも。

「どんな立場であっても、お互いに信頼関係があれば育てあうことができるんじゃないかと思うんです。私は信頼できる人たちと育てあいながら、自分の音楽活動を頑張っていきたい。それが今のいちばんの目標ですね」

 ジャズが好きでスタンダードナンバーなどを歌ってきたが、本来はブリティッシュ・ポップスも好きだという。

「もっとレパートリーを増やしたいし、作詞作曲もしたいんですよね。キーボードも習って1年ほどになります」

 音楽があれば生きていける。かつてぼんやり思い描いた夢は今、現実のものとなり、さらに具体的な目標が山積みとなっている。それは彼にとって喜びそのものなのだ。

 40代半ば近くなってから、ようやく自分のしたいことを言葉にして人に伝えることもできるようになり、交友関係もどんどん広がってきた。交友関係が広くなれば、また軋轢(あつれき)や誤解が起こる可能性もあるが、今はそういったことにも対処できると長井さんは自信に満ちた笑みを見せた。


かめやまさなえ 1960年、東京生まれ。明治大学文学部卒業後、フリーライターとして活動。女の生き方をテーマに、恋愛、結婚、性の問題、また、女性や子どもの貧困、熊本地震など、幅広くノンフィクションを執筆