家族が引き継いだ裕也さんの自宅。主なき後、室内に残されていたのは、生前愛用していたジャケットやジャージ、サングラス、帽子、ストールといった多数の衣装だった。それらは親族や関係者に“形見分け”されたという。

「私も2着いただいて。うち1着は、昔、裕也さんが蓮舫さんの“事業仕分け”に乗り込んだときに着た白いダブルのコートです」(BORO)

 だが、それでも全部の行き先が決まらない。中でも困ったのは、あの真っ赤な靴下。希林さんの葬儀の際にもはいていたと話題にもなった、裕也さんのトレードマークだ。

いわく“ロッケンローラーは赤だろ!”と。赤は彼のロック魂を表した色でした。はき古したものから新品まで、100足近い靴下が出てきたそうで。也哉子さんは“赤い靴下ばっかり、どうしたらいいのよ!”って苦笑いしてらっしゃいましたけれど……」(前出・音楽関係者)

晩年は英国のアパレルブランドの赤い靴下がお気に入りだった内田裕也さん
晩年は英国のアパレルブランドの赤い靴下がお気に入りだった内田裕也さん
【秘蔵写真】関係者が見せてくれた内田裕也さんとの2ショット

 一般的に、形見分けがすんだ後の遺品といえば、使われないまましまい込まれてしまうか、処分されてしまうことがほとんど。

“もったいない”の心

 だが、残された家族─也哉子はそうしなかった。

 そこには、希林さんからのある“教え”が。

“もったいない”“物には冥利がある”と口癖のようにおっしゃって、亡くなる直前までティッシュ1枚、無駄にしませんでした。はき古した靴下も、ハサミで切り開いて雑巾がわりにして、最後まで使い切ってから捨てていたそうですから」(出版関係者)

 その思いは受け継がれた。'73年から毎年大みそかに裕也さんが開催していた年越し音楽イベント『ニュー・イヤーズ・ワールド・ロック・フェスティバル』。その最後となった'19年12月31日、イベント会場で一般のファンに展示即売─“形見分け”されたという。崔氏も、自ら“売り子”として店頭に立った。

「裕也さんの思い出を処分してしまうのもどうなのかなって。本木さん、也哉子さんにも相談して“裕也さんのことを知る方々に”ということになったんです」

 裕也さん愛用の品々が所狭しと並べられた中で、目玉商品はもちろん赤い靴下。お値段、1足たったの100円。

本木さんから“幼稚園のバザー価格でお願いします”という話があったので(笑)、ギリギリの値段で。売り上げは全額、フェスティバルのほうに寄付させてもらいましたけれど、彼と彼の音楽を愛したみなさんに買っていただいて、喜んでいただけてね。やってよかったです」(崔氏)

 当日会場には、也哉子と本木もお忍びで足を運んだ。

 母の思いと父の魂が、多くの人たちの手に渡っていく様子に、大層喜んだという。