田原の自意識過剰ぶりは“魅力”だったのに

 ただ、あの発言がなければ、メディアや世間があれほど劇的に掌(てのひら)を返すこともなかっただろう。田原はもともと自意識過剰ぶりが諸刃(もろは)の剣(つるぎ)になるタイプ。’90年に筆者がインタビューした際も、彼の曲と似たタイトルの曲をマイケル・ジャクソンが発表したことに対し「オレのほうが先なんだから」と豪語したりしていた。それでも当時は、今の木村拓哉や明石家さんま同様、それを“魅力”として許容する空気が存在していたのだ。

1980年代、人気絶頂の松田聖子と田原俊彦
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 その空気を消したのがあの発言であり、それは今も尾をひいている。メディアに登場して、本人がその経緯を語るたび、どこか言い訳めいて聞こえてしまうのである。さらにいえば、

「あのときの僕は自由が欲しかったんですよ。(仕事が減ったことにも)ある意味ね、すっきりしたっていうか、安心した僕もいましたよ」(前出のトーク番組)

 という発言が、負け惜しみにも聞こえてしまう。たしかに彼は、独立後、頑固な職人のようにダンスなどを極めることでナンバーワンからオンリーワンへの転身に成功したが、全盛期を知らない世代にはそのすごさは伝わりきらない。あの発言も、ビッグじゃない人が自分でビッグだと言って干された、という印象なのではと心配だ。

 松田聖子とともに’80年代のアイドルブームをつくり、2度目のピークでは「抱かれたい男」にも君臨していた田原。

 本当に“ビッグ”だった時代を知る者としては、ちょっとばかりせつない。

(文/宝泉薫)


ほうせんかおる アイドル、二次元、流行歌、ダイエットなど、さまざまなジャンルをテーマに執筆。近著に『平成「一発屋」見聞録』(言視社)『平成の死 追悼は生きる糧』(KKベストセラーズ)