そして、4局目に勝利して、プロ入りを決める。

 勝った瞬間、勤務する施設では万歳三唱の声が響き、地元のニュース番組では速報が流れた。

「可能性に蓋をしなければ、年齢なんて関係ない」

 対局後のインタビューで今泉さんが口にした言葉だ。

「41歳の僕が勝てたのは介護士という帰れる場所がもうひとつあったことが、すごく大きかったと思います。たとえ将棋がダメでも俺には帰る場所がある。そういう心のゆとりが、僕をプロ棋士にしてくれたんじゃないかと思います」

 一般的に棋士のピークは“心技体”そろった30歳くらいだといわれる。40代は知力的には下り坂なので重要なのは心。50代は身体が丈夫なことが大事なのだとも。

「未来も過去もあまり興味がない」

 実は、それだけではない。今泉さんが快挙を成し遂げた裏には、大きな力を与えてくれた女性がいる。

 医療系の仕事をしている千里さん(52)。22歳の息子がいるシングルマザーだ。将棋好きな息子の影響で、今泉さんの存在を将棋雑誌で読んで知った。フェイスブックを通じて交流が始まったのは、今泉さんがプロ公式戦で10勝を目指していたころだ。

《やらなかった後悔より やった経験を生かそう》

 千里さんが「筆文字修行」と題してフェイスブックにアップしている言葉が、今泉さんの心に刺さった。ネット上でのやりとりを続け、プロ編入試験の前に今泉さんから交際を申し込んだ。

 第3局に負けた後、ノートに思いを書くようアドバイスしたのも千里さんだ。

 第4局の前日。ナーバスになる今泉さんに、楽しかったことを思い出してもらおうと、こう聞いた。

「お父さんに初めて勝ったとき、どんなんやったん?」

 たちまち記憶が蘇ったのか、今泉さんはうれしそうに話し始めたそうだ。

「最後に、俺、大丈夫やわ、明日勝てるわと言わはったんですよ。フフフ」

 穏やかにほほ笑む千里さんのことを、今泉さんは「僕の女神です」と照れもせずに言い切る。

 現在、今泉さんは対局をするほか、将棋教室を開いたり、講演をしたりして、全国を飛び回っている。

 菅井さんに聞くと、今泉さんは人前で話をするのもお手のものだという。

「4、5人の棋士でトークショーをすると、実績は今泉さんがいちばん下だけど、マイクを離さないですから(笑)。介護の仕事を始めて半年くらいたったころから、おおらかになったなと感じました。全然怒らなくなったし、よくしゃべるし、人ってこんなに変わるんだと(笑)。今はほかの人には言えない悩み事の相談や将棋以外の話も、今泉さんとはよくします」

 将棋教室では、あいさつや「ありがとう」「ごめんなさい」をきちんと言うなど、礼儀作法をまず教える。初心者に将棋のルールを説明するときは「歩は10円、金は100円、飛車と角は500円」など、わかりやすくたとえる。

 今後やりたいことは? と聞くと「未来も過去もあまり興味がない」と素っ気ない。

「今泉は今を生きています。僕の生涯のモットーは“将棋を通じてみなさまの笑顔のもとになること”。目の前の人に、こんな人がおるんや、おもろいなーと思っていただけたら、何より幸せです」

 今泉さんがプロに再挑戦するキッカケを作った瀬川さんは'05年にプロ編入試験に合格して今も活躍している。その半生は'18年に『泣き虫しょったんの奇跡』として映画化された。瀬川さんを演じたのは俳優の松田龍平だ。

「今泉さんの人生も負けないくらい面白いのでは?」

 そう水を向けると、まんざらでもない顔だ。

「誰かに言われたのですが、僕の役を演じられるのは俳優の竹中直人さんしかいないと(笑)。映画化してもらえるのなら、主題歌はぜひ、高橋優さんの『プライド』でお願いしたいです!」

 そんな妄想をするのが楽しいと目を輝かせた。


取材・文/萩原絹代(はぎわらきぬよ)大学卒業後、週刊誌の記者を経て、フリーのライターになる。'90年に渡米してニューヨークのビジュアルアート大学を卒業。'95年に帰国後は社会問題、教育、育児などをテーマに、週刊誌や月刊誌に寄稿。著書に『死ぬまで一人』がある。