メリー氏との距離を縮めた静香の秘策

 当時が今のようなSNS全盛時代だったとしたら、たしかに誹謗中傷どころの騒ぎではなかったに違いない。

 “芸能界の母”には睨まれ、夫のファンには集中砲火を浴びる、まさに四面楚歌──。すると、静香は思い切った行動に出る。敵だったメリー氏に急接近し始めたのだ。

日本中から悲鳴が上がった伝説の“でき婚”会見(2000年)。木村の表情はなぜか終始、硬かった
日本中から悲鳴が上がった伝説の“でき婚”会見(2000年)。木村の表情はなぜか終始、硬かった
【写真】ミニスカ学生服姿のCocomiを高級外車で送迎する拓哉&静香(2015年)

 盆暮れの贈り物はもちろん、季節の挨拶など、何かにつけメリー氏への連絡を欠かさない。大きな転機となったのは’01年5月の長女出産だった。

「Cocomiちゃんが生まれたとき、静香は自分の母親や木村くんの両親よりも先にメリーさんに報告したそうですから。駆けつけたメリーさんにCocomiちゃんを抱っこさせてね。結婚させてくれたメリーさんへのお礼だったわけです。メリーさんは子どもが大好きだから、もうメロメロになってね」(前出・芸能プロダクション関係者)

 以降、木村家とメリー氏の距離は急速に縮まっていく。

「木村くんの自宅をメリーさんが訪ねて一緒に食事をしたり、CocomiとKoki,の誕生日やクリスマスにはプレゼントを贈ったりね。お返しに、メリーさんの誕生日には、ふたりそろってメッセージカードを贈ったって聞いたなぁ。メリーさんは、そういう気遣いができる静香をすっかり気に入っちゃった。あれだけ自分を目の敵にしていた人を、いちばんの味方に変えちゃったんだからねぇ」(同・芸能プロダクション関係者)

 すると、静香の言動にも変化が。テレビでもブログでも木村のことを語らなくなった──“木村色”を出さなくなったのだ。気の置けないママ友との食事会ですら、夫の話は決して出さなかった。静香は、ブログでこう綴っている。

《言いたいことを言わず、何が何でも我慢するしかない時を十年以上も続けていますが、発言したらキリがない》

SMAP独立騒動でキムタクを必死に説得

 結婚以来、我慢を重ねてきた静香が、たった1度、我慢しなかったことがあった。’16年に起きた一連のSMAP独立騒動だ。SMAP“育ての親”である元マネージャーのI氏がメリー氏と対立。SMAPの5人を引き連れて出ていくという、クーデター計画。それが失敗に終わったことは周知のとおりだ。

 その最大の原因は、独立する決意を固めていた木村が翻意したことだった。

「キムタクを必死に説得したのが静香。“家族のために退所しないでほしい”と何度も話し合う一方で、I氏に直接電話をかけて“主人の人生が変わったらどうしてくれるの!?”と詰め寄った。独立させなかったことで、メリーさんに筋を通したんです」(前出・スポーツ紙記者)

 妻の猛抗議に“日和って”長年苦楽をともにしてきたメンバーたちを裏切る形になった木村の言動は、ファンを失望させた。結局、’16年末、SMAPは解散するが、木村はその“戦犯”としてファンから総スカンを食らい、一時代を築いたその地位と人気は見る影もなくなってしまう。