苦節20年以上
その貧乏時代は?

 相方のやすと『ずん』を結成したのは'00年だが、芸人デビューは'91年。20年以上、売れない時代を過ごした。

「ウチの事務所は25日が給料日なんですけど、20日過ぎると、1日300円で暮らさざるをえなくて。それも守れず、2日くらいでなくなっちゃう。最後の1杯まで飲んじゃって、2時間歩いて帰ったりしましたね。なかなか世田谷区を抜け出せなくて“世田谷ってでかいんだなぁ”って思いながら(笑)」
 
 キャベツ1個で3日間暮らしたことも。

「キャベツチャーハン、キャベツカレー、ロールキャベツの具なし版“ロールなしキャベツ”とか(笑)。僕の場合は同期のキャイ〜ンが先にバーッと売れたので、よくロケ弁や楽屋の弁当を大量にウド(鈴木)が運んでくれて。ずいぶん、それで食いつなぎましたね」
 
 飯尾のテッパンネタのひとつ、現実逃避シリーズ(昼間からゴロゴロゴロゴロ〜。あーあ、何でも10円で買えたらなぁ等)は30代半ば、リアルに考えていたことだという。

(低収入で)ロクに税金も払わず、最悪ですよね。なのに、今回のようなお仕事をさせていただいて。あのころは本当にお世話になりました

 ぺっこり頭を下げ、どこまでも低姿勢。天狗にならずにいられる理由を尋ねてみると、

「天狗になるなんて、とんでもない! キャイ〜ンは元から根っこができているから、売れても全然人が変わらないですけど、もしキャイ〜ンのように23歳くらいから売れていたら、わからなかったと思いますよ。あと、売れない時代に(芸能界の)いろんなところを見てきましたから。“ああやると落ちていくんだ”とか“あんな粋がっていた人、もういないんだ”とかね(笑)
 
 ミルクボーイやぺこぱのブレイクで“人を傷つけない笑い”が持てはやされているが、飯尾のギャグこそが時代を先取りしていたようにも感じる。

「いや、全然ですよ。さまぁ〜ずさんからは“飯尾のギャグはやっぱり何げに毒が入ってるよな”ってバレてますし

忍法メガネ残し「メガネをはずしただけじゃん」なんて言ったらダメ☆  撮影/近藤陽介
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 今、芸人としてどんな青写真を描いているのだろう?

「今は世界中がコロナで自由にロケも行けないし、“今日、みんなで飲もう”なんてこともできない。今までのそれが贅沢なことだとは、バカだからわからなかった。麻痺してたんでしょうね。ロケ芸人ですから、行きたいところに行ける日常が早く戻ってきてほしいですね」
 
 と、地に足がついた回答。冠番組への野望は?

「そんなそんな。とんでもない。そんなことは……と言いながら、話が来たらふたつ返事だと思うんですよ。“はい、やります!”。勇気あるオファー、いつでもお待ちしております(笑)」
 
 ますます、このおじさんから目が離せない―。