そのハングリーな姿勢が、多くの監督やプロデューサーに評価されたゆえんだが、同時に重圧やストレスにもつながったのだろう。また、インタビューをたどってみると、ここ数年、家族の話がめっきり少なくなり、孤独感を深めていたのではとも感じられる。

 亡くなる10日前の7月8日『太陽の子』についての会見が広島で行なわれ、三浦は戦時中に思いを馳せながらこんな話をした。

今、僕たちはいろんなことで、人生を諦めたいと思う瞬間もある。けど、その虚しく生きた一日が、当時あれほど生きたいと思っていた一日。一日は変わらないじゃないですか。そんなことを胸に、生きていきたい

ある文豪との“共通点”

 生と死のあいだで揺れ動いていたことがうかがえる発言だ。そんな姿に、ある作家の姿がよぎる。太宰治だ。

 太宰は処女作品集に『晩年』というタイトルをつけ、その最初の作品の冒頭に《死のうと思っていた》と記した。そこから十数年、旺盛な執筆活動を続けたあと、38歳で自殺。おりしも、実人生を反映させたかのような『人間失格』が連載中で、第2回と最終回は死後に発表された。小説のなかの自殺未遂と現実の自殺というシンクロが衝撃をもたらすこととなる。

 が、最後の作品はこれではない。『人間失格』のあと『グッド・バイ』というコメディー小説を書き始めていた。プレイボーイが愛人たちと別れるために、あの手この手を駆使していくという筋書きだ。構想の約6分の1で絶筆となったものの、本人は自信作だと話していたという。

 三浦もまた『太陽の子』でのシンクロが話題になったが、最後のドラマはコメディー。おカネにルーズな浪費男子と、正反対の清貧女子が恋におちるストーリーで、死の前日まで撮影に参加していた。

 自身のインスタグラムでは死の4日前に「より笑って頂きたく撮影に励んでおります!」と明るい表情でコメント。生と死をめぐる葛藤のなかでも、彼は見る者を楽しませようと最後まで一生懸命だったのだ。

 彼のトレードマークでもある笑顔。そういう魅力にたくさん出会える作品に仕上がっていることだろう。 

PROFILE●宝泉 薫(ほうせん・かおる)●作家・芸能評論家。テレビ、映画、ダイエットなどをテーマに執筆。近著に『平成の死』(ベストセラーズ)、『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)、『あのアイドルがなぜヌードに』(文藝春秋)などがある。