時代とともに変わる「かわいい」の概念

 そんななか、転機となったのが2009年である。この年、新語・流行語大賞に「女子力」がノミネートされた。女子力の解釈はさまざまだが、ぶりっこ的な要素ももちろん含まれる。そういうものを肯定する空気が生まれたのだ。

 また、AKB48が『RIVER』で初のオリコン1位を獲得。第1回の選抜総選挙も行なわれ、国民的グループへと駆け上がっていく。これは2000年前後にハロー!プロジェクトがモーニング娘。や松浦亜弥で作った「女子も憧れる女子アイドル」という流れをさらに加速させるものでもあった。こうして「カワイイは正義」という雰囲気が世の中にあふれ始めたわけだ。

 そして何より、この年は「あざとかわいい」を考えるうえで大きな出来事が起きた。田中みな実のTBS入社だ。この人も当初は世の女性を敵に回したが「ぶりっこ」キャラを貫き、フリーアナ兼女優として活躍する今、多くの女性にリスペクトされる存在となった。

 興味深いのは、飛躍できた理由についての本人の分析だ。

私はたぶん、年齢だと思います。年齢を重ねて、失恋を経験して、少なからず、ちょっとかわいそうな人っていうふうに見られ始めたところから、やや上向いてきたのかなという気がしています」(7月31日『人気の秘密を考察!「売れっ子ちゃん」』TBS系)

 たしかに、そうかもしれない。オリエンタルラジオ・藤森慎吾と破局したのは、今から5年前。彼女はそこまで、若くてかわいいだけのぶりっこというイメージで見られがちだったが、そこからは失恋に傷つき、それを乗り越えて仕事に頑張る生身の女性という見方も加わった。おかげで、同情や共感も得られるようになったのだ。

 そういう意味で、破局後、次の恋にいかなかったのもよかったのだろう。彼女は女子力を自分の外見と内面を高めるために使い、その過程や成果をSNSや写真集で発信。それを世の女性たちが参考にするようになった。また、女優としての「怪演」で面白さも供給している。

 これは、松本まりかについてもいえることだ。若いころはその甘い声と顔立ちが個性的すぎて、なかなかいい役がつかなかったが、声優の仕事をしたり、ロンドン留学などで自分を磨く努力を重ねたりしながら、その個性を怪演に生かせるようになった。つまり、彼女の「あざとかわいい」も見る側にとっての面白さにつながっているのだ。

 そして、聖子もまたしかり。当時はぶりっこと呼ばれたが、じつは彼女こそ「あざとかわいい」の先駆者だった。歌やスキャンダルを通じ、その「あざとかわいい」で長年、世の中を楽しませ続けてきたのだ。だからこそ、同世代のアイドルのほとんどが現役感を失うなか、芸能生活40年の今も健在ぶりを示せるのだろう

 冒頭で紹介した山里の発言のように、いまや「あざとかわいい」は女性が幸せになるための「ワザ」である。かつて反則とも見なされた「ぶりっこ」は、そういう素敵なスキルへと進化したのだ。

PROFILE●宝泉 薫(ほうせん・かおる)●作家・芸能評論家。テレビ、映画、ダイエットなどをテーマに執筆。近著に『平成の死』(ベストセラーズ)、『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)、『あのアイドルがなぜヌードに』(文藝春秋)などがある。