ともに1920年に生まれた女優、原節子と山口淑子が生誕100年を迎えた。
戦前、戦中、戦後の激動期を生き芸能史に残る、ふたりの軌跡――。

家庭の事情で女優に
“永遠の処女”引退

 昭和を代表する2大女優、原節子と山口淑子の生誕100年を記念した特別展が、神奈川県の鎌倉市川喜多映画記念館で開催されている。

14歳のときに原節子(本名・会田昌江)で映画デビュー。『河内山宗俊』の撮影中にドイツの映画監督の目にとまり、日独合作映画のヒロインに抜擢され注目される

 原は、1920年6月17日生まれ。山口は、1920年2月12日生まれ。ふたりに共通しているのは、年齢だけではない。戦前に自らの意思ではなく芸能界にデビューし、戦中は国家に翻弄され、戦後は大女優として地位を確立する。

 しかし、原は42歳で引退宣言することなく表舞台から去り、山口は女優を引退し、ジャーナリスト、政治家の道を歩み、同じような境遇とともに、対照的な生き方をしている。
 
 原は、裕福な家庭に生まれたが世界恐慌のあおりで家業が傾き、女学校を中退して14歳で女優に。16歳でヒロインに抜擢された日独合作映画『新しき土』で一躍、注目された。

 戦時中は、政府に要請され供出運動参加や国策的な戦争映画への出演が増えた。敗戦後は、復員してきた兄弟や家族を支えるために女優を続けざるをえなかったが、黒澤明監督『白痴』、小津安二郎監督『麦秋』、成瀬巳喜男監督『めし』など巨匠の期待に応え、不動の大女優に。“永遠の処女”ともいわれ、42歳のときに映画『忠臣蔵花の巻・雪の巻』を最後に“引退”。再び表舞台に立つことはなく、2015年9月に95歳で亡くなった。