そもそも同性愛は“壁”になるのか?

 同時に『ロミオとジュリエット』のように、恋愛劇には昔から“壁”が求められる。

 しかし、自由恋愛の時代になると、恋人同士の間に壁を作ることが困難になってくる。そんな中、BLが盛り上がっているのは、男性同士の恋愛が日本社会において、タブーだと思われているからだろう。

 だからこそ漫画でBLは大きく発展し、テレビドラマも2018年の深夜枠ドラマ『おっさんずラブ』(テレビ朝日系)が大ヒットしたことで、BLドラマの一大ブームが起きている。

 この『チェリまほ』も『おっさんずラブ』のブレイクから派生したBLドラマだと言えるだろう。しかしBLは、漫画やアニメといった絵で展開される際には、甘美なファンタジーとして成立するが、いざ生身の俳優が演じるとなると、さまざまなノイズが生まれてしまう。

 先程、筆者は男性同士の恋愛を「壁」と表現した。これは日本社会において忌避されているという意味だ。しかし「本当に同性愛はタブーなのだろうか?」と考えると、「すでに、そういう時代ではないだろ」と思う

 おなじことは童貞や処女にも言える。もし、恋愛経験のない30歳の童貞を嘲笑する人がいるのなら、令和の時代になっても、まだそんなことを言っているのか? と困惑を覚える。

 おそらく、建前としては同性愛を差別してはならないということになっているが、多くの日本人には偏見がまだ残っているため、差別が温存されているというのが、現状なのかもしれない。その前提は『チェリまほ』にも共有されている。

 だからこそ安達は黒沢の気持ちを知って、戸惑うのだが、同時に自分の中にある「内なる差別心」に気づき反省する。

 そんな安達の振る舞いを「尊い」と多くの視聴者が思っているからこのドラマが支持されているのだが、男性の黒沢が安達に恋愛感情を持つことと、同性愛に対して安達が抱く感情と、黒沢の好意を安達が受け止めるかどうかは、本来は別々の問題である。

 安達が同性愛者でないのなら黒沢の好意を受け止める必要はないし、同性愛者じゃなくても好意があるのなら付き合えばいい。逆に同性愛者じゃないのに付き合うことは相手に対して失礼だと想うのなら断ればいい。

 ここで葛藤が起きるからこそ、ドラマは盛り上がるのだが、この面白さを成立させている背景を考えると、同性愛に不寛容な日本の現実が見えて、とても暗鬱とした気持ちになり、この物語を楽しんでいる自分自身に罪悪感を抱いてしまう。