“やさしい人になろう”と自分に言い聞かせた

 繁武さんは出馬断念を支援者に伝えるため、6月に車イス姿で病院からホテルへ出向き、1000人以上を前に呂律の回らない、聞き取れないような言葉で申し訳ありませんと涙ながらに詫びた

 傍らの藤崎さんは涙をこらえるのが精いっぱい。思い余った息子は「自分が大学をやめて働く」と母に伝えた。

そんなことはしなくていいあんたは野球を続けなさいお母さんは大丈夫だから

 藤崎さんは気丈に言った。しかしながら、夫を介護しながら109で働くのは至難の業だ。まずは家の中をバリアフリーにして手すりをつけ、介護用ベッドを用意。行政の支援も仰ぎ、ケアマネージャーに相談しながら訪問介護ヘルパーに来てもらう態勢を整えた。

 週2回のリハビリも介護タクシーで送迎してもらう手はずを整え、自身は朝8時から23時までガムシャラに働いた前述の売り上げ倍増は、壮絶な努力の末に達成したものだったのだ

このころは“やさしい人になろう”と自分に言い聞かせていました。“きつい”“つらい”“どうしよう”とネガティブに考えてもいいことは何もない。夫にやさしく接するほうが、すべてがうまくいくと信じて行動したんです。

 週末は必ず夫婦で外食に行きました夫はお寿司が大好きで、事情を理解してくれるなじみのお店に出向き、時間をかけて食べましたけど、喜ぶ夫の姿がうれしかった。それに自分には仕事があったので、気持ちの切り替えがうまくいった。打ち込めるものがあったのは、やっぱり大きかったですね」

 こうして仕事と介護の両立に励んできた藤崎さんだが、またしても逆風に見舞われる。経営方針の変化もあって、'10年9月に109のお店を離れることになったのだ

 5年にわたり働いたものの、雇われ専務だった彼女にはそこまでの貯金はない。すぐさま次の仕事を探さなければ生活が立ち行かなくなると考え、人生初の就活に乗り出した。

 短大時代には見たこともなかった求人誌を入手し、目を皿のようにして読んだが、自分にできそうなのは料理しかない。そこで当たりをつけたのが、JR新橋駅前にあるニュー新橋ビルの小料理屋でのアルバイト

 16時~24時の8時間労働で、時給1200円日給にすれば9600円と109時代に比べはるかに安かったが、何もしないよりましだと思い、飛び込んだ

介護に追われながらも小料理屋でのアルバイトを続けたころ
【写真】政治家の夫の隣でほほ笑む、専業主婦時代の藤崎社長

「'10年10月から働き始めましたが、徐々にお客さんと仲よくなり、年明けの'11年1月末に斜め前の居酒屋が閉店するという話を耳にしたんです。実は、109に別のブティックを出すことを考えていたんですが、競争が激しくハードルが高かった

 そこで“アパレルより先に、飲食をやっておこうか”と気持ちを切り替え、出店に向けて動き始めたんです旬のものを扱い、見せ方次第で売れるという点は、洋服も飲食も同じ。そういう意味では踏み出しやすかったのかなと思います」

 こうと決めたら動きの早い藤崎さん。だが、事業計画書作成や資金調達の算段は、もちろん未経験。政治家の妻として支援者のリスト作成やパソコン入力くらいはしたことがあったが、ハードルの高い作業にほかならなかった。

 そこで彼女は本やインターネットでイチから情報収集を行い、アパレル関係の会社を経営する叔父にも相談。自分なりに書類を作成し、国民政策金融公庫や信用金庫、信用保証協会に掛け合った。結果、合計1200万円の借り入れをすることに成功

「1日5万6000円の売り上げを5年継続できれば借金は返せるという計画を作って交渉したんです。ちょうど109の退職金がわりに、まとまったお金が入った時期でもあったので、それを元手にアタックしました。失うものはなかったですし、いつまでも日給1万円のアルバイトでは家族の生活が成り立たない。まさに背水の陣でした」

 新たな一歩を踏み出そうとする藤崎さんを家族も応援した。外食好きの夫は居酒屋ならポテトサラダや厚焼きたまごは必須赤ウインナーを入れたほうがいいなどとアドバイスし、息子も「お母さんならできるよ」と背中を押してくれた