今夜9時から放送されるNHKスペシャル『見えず 聞こえずとも~夫婦ふたりの里山暮らし~』は、日本海にほど近い丹後半島の里山で田畑を耕し、自給自足に近い生活を営む梅木さんご夫妻に密着した記録だ。実は、妻の久代さんは視力と聴力を失い、言葉も発することができない。夫婦はお互いの手を握り、その動きから手話を読み取る“触手話”によって心を通わせ合ってきた。番組では、人にとって“幸せとは何か”を見つめていく。

『週刊女性』では、10年前に梅木さんご夫妻を取材し、1冊の本にまとめていた。その後も交流を続けてきたという著者である作家の大平一枝さんに、仲良し夫婦との出会い、忘れられない出来事、二人の変化について寄稿してもらった。

■恋をした仙人に魅せられて

『見えなくても、きこえなくても。』(主婦と生活社)写真/安部まゆみ
2006年に発売された『見えなくても、きこえなくても。』(主婦と生活社)写真/安部まゆみ

 10年前の正月、私は帰省先の長野の実家のテレビ番組で初めて彼を見た。テレビ東京の『日曜ビックバラエティ 自給自足物語』の再放送で、芸人や俳優が、徹底的に自給自足生活をする一般人の家を訪ねてレポートをする。数人がオムニバス式に登場する構成のなかで、梅木好彦さんはとりわけ異彩を放っていた。

 分厚い牛乳瓶の底のようなメガネに、継ぎだらけの野良着。大型機械をほとんど使わず手作業に近い形で有機米を育てている。醤油も味噌も住まいまでも、衣食住を自らの手で紡ぐ山の生活を黙々と続ける。年収は100万にも満たない。孤高の仙人のようなその風貌、とつとつと語る静かで穏やかな語り口、限界集落という厳しい環境の中で暮らす苦労を喜びと受け止める考え方に引きつけられた。番組の最後に、レポーターが「じつは梅木さんにはすごいニュースがあるんです」と言った。最近恋をして、妻を娶(めと)ったという。妻は視覚と聴覚が不自由な全盲ろう者、久代さん。好彦さんは頬を赤らめながら結婚写真を見せていた。新妻はニコニコととびきり笑顔がチャーミングな人だった。

 ちらりと映った二人の暮らしの様子に、さらに私は身を乗り出した。話し声はない。指先に触れ、手話の動きを指先から読み取る「触手話」で、二人は笑ったり、小さな喧嘩をしたり、冗談を言ってはぺしぺしと肩を叩き合う。

 言葉も、便利な生活道具も、お金もなさそうで、ないないだらけなのに、ないものはなにもないような、あたたかで満ち足りた空気に包まれている。なんとも言えない充足感が画面からあふれ出ていた。あの空気の根源は何なのか。そもそもどうやってあのシャイで不器用そうな仙人の好彦さんが恋に落ちたのか。二人を取材したら、私の知らない人生の大事なことを教えてもらえる気がした。それは平たすぎる言葉になってしまってもどかしいが、幸せの本質というようなことだ。

 当時、別の仕事でご一緒していた『週刊女性』編集長にその話をすると、1日かけてすべての連絡先を調べあげ、連絡が来た。

「二人の人生を書籍にしましょう。取材依頼をしてください」

■久代さんの“不屈”の秘密

 それから1年間。春夏秋冬と、二人の家に通った。相棒は、偶然その番組を見ていて、「あの人の自給自足生活への本気度は、他の出演者と違う」と、好彦さんについて強い印象を抱いていたカメラマン、安部まゆみ。電車とレンタカーをのりつぎ、東京から弥栄町(現、京丹後市)の梅木邸まで10時間かかった。「雪が2メートル積もったので、いまは来てもだめ」と町役場の人から進言されることもあった。

 好彦さんはもちろん、久代さんの毎日も、それはそれは忙しい。家事に加え、保存食づくりや町の自治会、福祉ボランティアの活動もある。わかってはいるのに、何度も「久代さんさんは本当に目が見えていないのだろうか?」と思いたくなるほど、何事も完璧だった。料理も掃除も編み物もなんでも几帳面にこなす。

 私と安部は、取材の傍ら、農作業を手伝うこともあった。秋の収穫のある日。稲架(はさ)という横木に掛けた稲を、小さな束に分けて脱穀するまでの手伝いをした。作業が終わる頃、突然安部が顔面蒼白でつぶやいた。

「結婚指輪がない!」

 新婚1年目の彼女の途方に暮れた顔に、私のため息が重なる。土間いっぱいの稲の山を見て、とてもこの中から小さなリングを探しだすなんて不可能だと思った。がっくりとうなだれながら私達二人は、宿に戻った。翌日は朝から再び取材がある。落ち込んでいる暇はない。少しでも早く寝て体力を回復せねばならない。

 翌朝。梅木邸に行くと、好彦さんがキラキラ光る銀の指輪を嬉しそうに安部に手渡した。

「あれから久代が稲の入っていた袋を全部指で探って、探しだしたんです」

 横で久代さんがニコニコとほほえんでいる。田んぼ一枚分ほどの稲の山から、こんな小さな輪っかを見つけ出すなど、森のなかから1本の針を探すようなものだ。しかも久代さんは全盲なのである。驚きのあまり私達は言葉を失った。探しもせずに諦めた自分がどうしようもなく恥ずかしい。

 彼女の諦めない強い気持ちと、人を思う気持の深さを目の当たりにした、忘れられない出来事である。

 こんなふうに、全盲の彼女にできて、私達に出来ないことはいくらでもあった。いやむしろ何をやっても彼女にはかなわないとさえ思う。

 触手話で語り合う二人の間にいると、私だけコミュニケーションが出来ず不自由だ。何が自由で、何が不自由か? 豊かな生き方とはどういうことをいうのだろう? 10時間の帰り道はいつも、正解のない問いかけで頭のなかがいっぱいになった。

■ふたりの今

 書籍『見えなくても、きこえなくても。』(主婦と生活社)を書き終えたあとも、交流は続いている。盲ろう者団体の会合でふたりが上京する際は、我が家に泊まってもらったり、新宿や渋谷でランチやお茶を飲んだ。メールも頻繁に交わしている。久代さんは、点字と音声ソフトを併用した特殊なパソコンでメールを打てるので、長い文字での会話も容易だ。

 山の暮らしも、盲ろう者の運動も、おとぎ話のようにはうまくいかない。ときには彼女からのメールに愚痴や弱音がのぞく。長く連れ添った夫婦の誰もがそうであるように、夫への不満だって漏れることもある。

 そんな彼女が、ここ2〜3年であきらかに変わった。くよくよしなくなったのだ。そういえば好彦さんも冗談を言ったり、なんだかおしゃべり好きになっている。どうしたのですかと聞くと、彼ははにかみながら教えてくれた。

「クリスチャンになったんです。毎週日曜日に教会に二人で通っています。とても楽しいし、学ぶことが多いんですよ」

 若いころ、禅や仏教を探求した好彦さんが信仰を持ったということは、よほど深いところで会心したのだと思う。彼らが通う小さな教会を訪ねたことがあるが、朗々と賛美歌を歌う好彦さんの姿に目を見張った。以前は人前で歌うような人ではなかった。もっとシャイで無口、一見気難しそうなところがあった。

 彼をこんな朗らかな明るい人に変えたのは、きっと信仰と久代さんの力だ。

 二人を見ていると、じつに当たり前でシンプルなことを強く実感する。愛って強いな。一人より二人ってあたたかいな……。

 メールもラインもフェースブックも、私達のまわりに瞬時につながりあえる道具はいくらでもある。でも、どれだけ心はつながり合っているだろう。本当にわかりあっているのだろうか。

 触手話は、神経を集中して相手の心に気持を重ねないと、正確に読み取ることが出来ない。彼らが指で交わす一つひとつの言葉はきっと、私達が扱うそれよりずっと重く、真実に満ちている。

 二人の暮らしが『NHKスペシャル』で放送されるという。いっけん静寂だけれど、じつは1日中触手話によるおしゃべりが絶えない仲良し夫婦の日常は、全国の人にどう映るだろう。

 稲の山からリングを探し出すような久代さんの不屈の心、丸ごと彼女を受け止める好彦さんの強い信念に裏打ちされた優しさが、画面から伝わったら私も嬉しい。

<プロフィール>

おおだいらかずえ●作家、エッセイスト。長野県生まれ。大量生産、大量消費の社会からこぼれ落ちるもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『ジャンク・スタイル』(平凡社)、『信州おばあちゃんのおいしいお茶うけ』(誠文堂新光社)、『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『日曜日のアイデア帖~ちょっと昔の暮らしで楽しむ12か月』(ワニブックス)、『昭和ことば辞典』(ポプラ社)ほか多数。朝日新聞デジタル&wに『東京の台所』連載中。ホームページ「暮らしの柄」http://kurashi-no-gara.com/

※『見えなくても、きこえなくても。』(主婦と生活社)はアマゾンキンドル、楽天コボなどで電子書籍版を購入可能。