最近、話題にも上がる「AID」(非配偶者間人工授精)。夫以外の第三者から提供された精子を用いた人工授精のことを指しますが、実際にAIDで生まれてきた人たちは、どんな思いを抱えているのでしょうか。ノンフィクションライター・大塚玲子さんから、2回にわたってのレポートです。

 「AID」と呼ばれる不妊治療があるのを聞いたことがあるでしょうか。これは、夫以外の男性から提供を受けた精子を用いる人工授精のこと。日本では 1948 年に慶応病院で初めて実施され、以来 70 年以上行われているやり方です。

 そんな中、夫婦以外の第三者から提供された精子や卵子で生まれた子どもと親の関係を明確にする民法の特例法案が、先週参議院で可決されました。衆議院に送られ、今国会中に成立すると見られています。

 一方で、疑問・不安の声もあがっています。この法案では子どもの「出自を知る権利」は認められず、その知る権利については「今後2年を目途」に検討するとされていることから、提供精子で生まれてきた人たちからは、「一番の当事者は生まれてくる子どもなのだから、もっと自分たちの声を聞いてほしい」という声が聞こえてきます。

 筆者は以前、AIDで生まれた女性たちを取材しました。今回はそのひとり、木野恵美さん(仮名・60代)の話をお伝えしたいと思います。

31歳のときに知り、
「大きく失望」「強い怒り」

 自分がAIDで生まれたことを木野さんが知ったのは、いまからちょうど31年前、31歳のときでした。父親が入院して血液型が合わないことがわかり、ごまかしきれなくなったため、母親が彼女に事実を話したのです。このときの思いを、彼女は手記に、こんなふうに記しています。

「これまでの31年間の自分と親の関係、暮らしてきた思い出が一瞬浮かんで、それがみんな、ガラガラと崩れ落ちました。目の前の空間がゆがんで自分が異次元に行ってしまったような、大きなショックを受けました」

母に大事に育てられてきたことは十分感じていましたが、私という人間の根幹に関わる最も大切なことについて嘘をつきつづけてこられたことは、大きな不信感となり

「子どもは親の所有物ではなく、一人の固有の人間であり、子どもが長い一生を偽りの中で生きていくことがどういうことなのか、まったく考えてもらえていなかったことに、大きく失望しました。そして、強い怒りを感じました」(*1 すべて『AIDで生まれるということ』より)