幼少期から離れて暮らしてきたが、母に対してのわだかまりなどはなくなった。

「昔はあったかもしれませんが、大人になった今では確執といった感情はないですね。先生の内縁の夫である世志さんとも普通に接しています。どうしようが母の自由ですよ。生んでくれて感謝しかありません」

 浅香家の子育てについては、次のように振り返る。

「高校のとき、私がヤンチャしていて、授業態度や成績の件で先生に呼び出されたんですが、突っ張って行かなかったことがあったんです。そしたら担任の先生がうちの母と連絡をとった際、“うちのせがれが何かしたんですか? なんだったら退学させてください”と言ったそうなんです。

 先生も“君の親は何なんだ!?”って驚いていましたね。でも、翌日は一転して“一緒に先生に謝りに行くぞ”と一緒に学校に行ってくれました。そこで先生に対して“昨日は大変失礼しました”と頭を下げてくれて、親なんだなぁと思いましたよ。

 その後も“泥棒したわけでもないし、勉強ができないとか気にするな”って言ってくれましたね。ほかにも“偉くならなくていい。そのかわり犯罪を犯すな。人に迷惑をかけるな”とよく言ってました。母なりの教育方針だったんでしょうね(笑)」

最後は「コーラが飲みたい」

 母と最期の時間はどう過ごしたのか――。

「今年の10月に入院して、すぐ知らせが来ました。入院してから5回ほどはお見舞いに行きましたが、新型コロナウイルスの影響で、担当医からは面会時間は1分と言われていました。さらに母は耳が遠くて、大声を出すと飛沫感染する恐れもあるので“元気?”とかこっちが質問して、向こうがうなずくなどといったコミュニケーションしかできませんでしたね。

 でも、親戚のおばさんが話しかけたとき“浅草に帰りたい”“コーラが飲みたい” とか言っていたそうです。母は地元とコーラが大好きでしたからね(笑)。あとは報道に出ている通り、安らかに亡くなりました。素敵な最期でしたね

 波瀾万丈な人生を歩んだ浅香さんは、2019年に週刊女性によるインタビューで、“天敵”と呼ばれた沙知代さんについて、こう語っていた。

この世では2度とああいう女には会えないだろうね。あと何年かしたら、“座布団敷いて待ってたわよ”って迎えてくれるかもね(笑)」

 今ごろは天国で、また……。