小さいころは、蝶々さんのことを“おかあちゃん”と呼んでいた記憶があるという利一さん。柳枝とは、蝶々さんの恩人であり、最初の夫となる芸人の三遊亭柳枝さんのことだ。

 後ろ盾となる師匠がいないのに、売れっ子になってしまった若き蝶々さんの手助けをしてくれたのが、柳枝さんだった。蝶々さんが柳枝さんと恋に落ちた際、柳枝さんには妻子がいた。不倫の果てになんとか一緒になることが叶ったものの、まもなく柳枝さんに複数の女性の存在が発覚。蝶々さんは再び茨の道に舞い戻ることになる。

「(蝶々さんは)昭和18年の日記に、柳枝の心をなんとかつなぎとめようと、『柳枝との間の子どもが欲しい』と、何度も書いているんです。で、(9月27日に)その日記が止まって約10か月後が、私の誕生日(7月30日)なんですよ」(利一さん)

おとなしくさせるために“ヒロポン”を

 当時は戦時中であり、売れっ子芸人である蝶々さんが略奪愛の末に子どもを産んだとなると、世間からの非難は必至。そのため、妊娠・出産を必死に隠したのではないか、と利一さんは語る。

「でも、柳枝は、子どもがあんまり好きじゃなかったんやね。私もあまり可愛がられた覚えはないし、子どもができたからオバはんにも興味がなくなったんやと思う」

 終戦後、やはり柳枝さんの女性関係が原因で、結局ふたりは破局を迎えた。ほどなくして蝶々さんは弟子の南都雄二さんと付き合い始めるようになる。

そのころから蝶々は、私のことを人に紹介する際“もらいっ子や”“弟や”とコロコロ変える。いったい俺はなんなんやと。そのうちお母ちゃんとは呼べなくなって、“オバはん”か弟子たち同様に“センセイ”と呼ぶようになったんです」

 柳枝さんと別れて南都雄二さんとコンビを組み、漫才を始めたものの、前のようにはうまくはいかない。そして、まだ柳枝さんを忘れられない蝶々さんは、当時は合法であった覚せい剤の一種であるヒロポンにハマるようになる。

「注射器を持ってるオバはんに『なにしてんの』と聞くと『ヒロポンや』とニヤリと笑う。このときはまだ正気なんやね。でも薬が切れると、『死ぬ死ぬ』と、包丁やかみそり持って暴れだす。それを雄二さんらと布団をかけて静かになるまで押さえつける、と。おとなしくさせるために、お父ちゃんが(蝶々さんに)またヒロポンを打つこともあった。

 このままでは死んでしまうと仕事を休ませ、入院させて20日くらい薬を断たせて、なんとか抜け出せたんですわ」

 その後、雄二さんとは夫婦漫才でテレビ出演を皮切りに一斉を風靡するのだが、神は再び気まぐれを起こす。雄二さんのたび重なる浮気のため、またまた蝶々さんはひとりになるのだ─。