「本気で惚れたのは柳枝だけやった」

「蝶々はのちに『私が本気で惚れたのは、柳枝さんやった。上背のあるところと、寝たときにこんもり盛り上がっている胸板の厚さ、無口でとにかく優しいところがほんまにたまらんかった』と言ってました。

 柳枝は、女性を口八丁手八丁で口説くタイプではなく、その場にいるだけでよろめかせてしまうような、色気のある男だったそうです。あのオバはんが、柳枝の前ではとにかく、か弱いひとりの女になってしまうのだ、と」

“ミヤコ蝶々”と本名の“日向鈴子”のギャップに悩んでいた蝶々さんの素顔もつぶさに見続けてきた利一さん。

「オバはんは、糖尿病を悪化させて当時の妻に見放された雄二さんと、幼いころにいっとき一緒にいただけの父・英次郎の妻と、ふたりの最期の面倒を見てやったりした。“そうしてやるのがミヤコ蝶々の生き方やないか”と」

 いろいろ苦労はさせられてきたが結局、今は感謝と尊敬の念しかない、と利一さん。

「まともに学校に行ってないはずなのに、いろんなことを知っていた。人一倍思いやりと気遣いがある人でしたね。よく『学つけなあかん。大学行きなはれ』と言われていましたが、オバはんのそばにいるほうがずっと勉強になると思って、大学には行かんかった。でも、オバはんの威を借りて仕事をもらったりするのはイヤやったから、芸の道には行かず、自分で独立して会社を興しました」

 その昔“おかあちゃん”と呼ばれていたはずの蝶々さんは、しっかり自立した利一さんに、なんやかんやと頼るようになる。利一さんは、蝶々さんの個人的なマネージャーだった。個人事務所、晩年に手がけた演劇スクールの運営にもかかわってきた。

「芸の道しか知らんから、金勘定ができない。入ってきた金は全部使ってしまう。演劇スクールを作ったときも、テレビで   あのオバはんは『理事長(利一さん)が使い込んだからクビにした』なんていいよった。もう、むちゃくちゃですわ。

 そんな感じなのに、会うと『利一、肩痛いんで按摩して』『足按摩して』と甘えよる。私は今でこそ、こんなにしゃべりよりますが、オバはんが生きてたころは無口やったもんね。いろいろ言い返されたらめんどくさいから」

 上背もあり、がっしりとした体形。そして無口。ということは、蝶々さんは利一さんに、永遠の思い人である柳枝さんを重ね、あの時代にできなかったことをねだっていたのではないだろうか─。

「オバはんは、死ぬ数年前から、『利一、あんたに言っとかなくてはならんことがあるんや……』といっては口ごもっていた。結局、それが何かは聞けなかった。

 言ってほしかったですけどね。長くそばにいたから、何を言いたかったのかなんとなくわかるんですが……」

 長く人々から慕われ、愛された浪花のオカンは、隠し続けた息子にも愛されたオカンだったのだ─。

(取材・文/木原みぎわ)