35歳でフリーランスから法人化して『株式会社 Vita』を立ち上げ、現在は6名のスタッフを抱える。仕事が急増したのはコロナ禍になって以降。撮影における各局の制限が厳しくなり、特に「役者が口にする食べ物の扱い」にはさまざまなルールや制約が設けられたからだ。これまで食事は「消えもの」として、“そこにあればよい”という位置づけだったが、このご時世下で「安全でおいしいもの」が求められるようになってきたという。

「これまでは撮影の合間に食べかけの料理にラップをかけたり、飲み物の用意をしたりするのは美術さんが担当していましたが、コロナの影響で“口に入れるものはフードコーディネーターに一括で管理させる”という方針に変わりました。ただでさえ慌ただしいドラマの撮影などでは、フードコーディネーターが現場慣れしていないと難しく、さらに、ひとりではなくチームでうまく動けることが求められるようになりました」

 そのため、場数を踏んできたはらさんは引っ張りだこに。会社としてチームで動く体制が整っていたことも大きな理由だろう。そして何より「仕事は必ず楽しむようにしているからか、“なんだか、いつも元気だね”と言われることが多い」そうで、先の見えない不安な状況下で撮影を進めるスタッフたちも、はらさんの明るさに希望の光を見たのかもしれない。

今のはらさんに周囲は何を思う?

 ただでさえ忙しく不規則な仕事をこなすはらさんだが、現在は2歳の娘の母親でもある。気になるのは日々のスケジュール。

「夫も撮影業界の人なので、保育園関連と夫婦の予定管理は欠かせません。もちろん深夜の撮影もありますし、現場以外のレシピ作成などは娘が寝てから、もしくは早朝に出社して行うなど、スキマ時間を使ってなんとかやりくりしている状況ですね」

 子育てと仕事の両立は難しそうだが、はらさんをよく知る人々は「むしろ娘が生まれてよかったね」と、口々に言うそう。

「“だって、あなた時間があったら無限に働くじゃない”って(笑)。今は娘との時間を作るためにメリハリをつけるようになって、逆に細かい時間の使い方がうまくなった気がしています。大変なことも多いですが、“おいしかったよ”とか“フード(コーディネーター)さんがいてくれると安心です”と言ってくださる俳優さんも多く、それが、励みですね」

 フードコーディネーターの仕事に長らく反対していた家族は、昨今の活躍をどう思っているのだろうか。

「父は最初のころ“ドラマの仕事をしているからっていい気になるな”なんて言っていました。だけど、担当したドラマ『トットちゃん!』(テレビ朝日系)を見たご近所さんが父に“ゆうこちゃんの名前が出ていたよ、すごいね。黒柳徹子さんのドラマでしょう”と絶賛してくれたんです。母もテロップが出るたび、うれしそうに父に報告してくれていたようで、両親とも徐々に認めてくれるようになりました」

 はらさんは近ごろ現場で、大手芸能事務所を経て現在は独立している俳優のI氏から「最近、頑張っているじゃない。今度の夢は何なの」と聞かれたそうだ。

「“夢は大きく持てよ!”とその俳優さんに言われてつい、その場で口にしてしまったのは“自社を日本一のフードコーディネーターの会社にする”ということ。スタッフたちの存在が大きな支えなので、ひとりではできないことも、会社としてみんなで頑張っていくことで実現していきたいです。

 個人的には“自分の料理を表現する”ことに、もっとチャレンジしたい。ドラマ映画の監督やクライアント様がジャッジをすることが多い仕事柄、どうしても相手ありきの正解を求めてしまいますが、“私がおいしいと感じるのはこれ!”と自信を持って出せるようになれば、可能性が広がるだろうと感じています。フードコーディネーターは、まだまだ認識が薄い職業ではありますが、これからの私たちの頑張りによって番組に欠かせない存在になるのでは、と思います」

 活躍の理由を問うても、謙遜していたはらさん。しかし、話を聞くうちに「求められる理由」が見えてきたように思う。彼女の仕事における心がけや裏側を垣間見た今、改めてドラマ食事シーンに注目してみると、新たな発見があるかもしれない。

(取材・文/松本 果歩)


【PROFILE】
はらゆうこ ◎フードコーディネーター。創立120余年の歴史ある『赤堀料理学園』の6代目校長・赤堀博美氏に師事、約3年半のアシスタントを務め独立。  独立後はフードコーディネーターとして各種大手流通のメニュー開発や各局テレビドラマ映画の劇中料理作成などに広く携わる。また、料理家としても大手食品メーカーのレシピ作成、レシピ企画の執筆を行う。 『株式会社Vita』設立後はイベント、ケータリングのプロデュース、調理師の観点を生かした飲食店のプロデュースなども手がける。