「私は芸能界で成功したい」15歳で上京

 三田サンはああ見えて、なかなかの苦労人です。2016年4人の同時襲名と銀婚式を記念して出版された半自叙伝『銀婚式』(中央公論新社)によると、三田サンは京都育ち。お父さまは紋付きに使う生地を黒く染める、黒染め屋さんを営んでいましたが、戦後の着物文化の衰退で家業が傾いてしまいます。最終的には商売をたたんで、タクシーの運転手になって家族を養ってくれたそうです。

 そして中3のときに『セブンティーン』の読者モデルに応募し、合格。それを見た事務所から声がかかり、芸能界デビューすることになったそうです。ご両親の苦労している姿を見ていたことから、「私は芸能界で成功したい。故郷に錦を飾れるようになるまでは、絶対に京都に帰らない」と矢沢永吉ばりのガッツで上京します。『銀婚式』によると、三田サンは芸能界入りした後、実家への仕送りをし、電話代も惜しんで貯金、二十歳のときにお風呂のない家に住んでいた両親のために家をプレゼントしたそうです。相当、芯が強いことがうかがえます。

気の強い人のほうが、忍耐力も優れている

 加えて、ヤバいくらい気も強い。2016年9月11日放送の『ウチくる?』(フジテレビ系)で、三田サンが19歳のときのインタビュー記事が紹介されます。それによると、《浮気は男の甲斐性やなんていわれると、ムカムカして頭がおかしくなりそう。そうなったら即、荷物まとめて家を出るの。それからダンナさんの実家に行こうと思う。自分の実家だと、負けたみたいでしょう。あちらのお母さんに“お宅の息子さんは……”なーんて文句いってる場面を想像したりしてね》と答えています。

 夫が浮気をしたら夫の実家に怒鳴り込むと言っていた人が、「夫の不祥事は妻の不始末」と言われがちな梨園に嫁ぐのですから、人生わからないものですが、実はこれくらい気が強い人のほうが、「耐える女」の牙城には向いているのかもしれません。攻撃は最大の防御と言いますが、いざとなったらやってやる! ぐらいの攻撃力がある人のほうが、忍耐力も優れていると思うからです。

 実際、結婚してみると、意味のわからないことで怒られることも多々あったといいますが、「わからないことだらけでも、叱られてばかりでも、絶対に負けるものか」とまたしてもファイトを燃やしたそうです。

 芝翫襲名の際、三田サンとお姑さんは『女性自身』で対談していますが、ここでお姑さんから「寝る間も惜しんで、何から何まで一人で頑張ってくれているものね」と労われています。長い時間をかけて、お姑さんにも認めてもらういいお嫁さんになれたということでしょう。その昔、『笑っていいとも!』(フジテレビ系)で料理が全然できないキャラだった三田サンを知っている身からすると、たいしたものだなと思います。