2000年、1冊のベストセラーが生まれた。飯島愛さんの『プラトニック・セックス』だ。彼女はそこに、中学時代の非行や家出、同棲、性病感染、妊娠中絶、AV出演などの過去を綴り、その半生は映画やドラマにもなった。

 この告白本の成功により、カリスマ性を高め、ご意見番的なポジションを獲得する。もっとも、それ以前からトーク、それも毒舌には定評があった。むしろ、毒舌でブレイクしたといえるほどだ。

 出世作『ギルガメッシュナイト』(テレビ東京系)にはお色気要員として起用され、Tバック姿で出演。しかし、若手芸人に「あんた、だから伸びないのよ」とダメ出ししたり、ときにはメイン司会の岩本恭生にすら「スケベオヤジ」呼ばわりしたりするのが面白がられ、サブ司会に昇格した。

 その岩本は、彼女の毒舌について「捨て身」なものを感じたという。

「そんな愛ちゃんの一生懸命さは、僕には好感の持てるものでした。(略)芸能界って、意外とフランクではなくて、上下関係が厳しく、周囲が許すか許さないかで、その人のキャラクターがずいぶん違ってくるものなんです」(『独りぼっち 飯島愛 36年の軌跡』豊田正義)

 文字どおり、裸一貫で芸能界に飛び込んだ彼女の毒舌はまさに生きるためのもの。しかも、彼女は必ず、収録後に「言いすぎちゃってごめんなさい」と謝ったという。それゆえ、誰からも許され、むしろ愛されたのだろう。

名子役から毒舌キャラへ

 同じころ『ロンドンハーツ』(テレビ朝日系)などで飯島さんとも共演して、やはり毒舌でブレイクしたのが杉田かおるだ。こちらは、かつての名子役。ただ、ブレイクへの過程には似たものがあった。

 10代半ばから酒やケンカに明け暮れ、借金を背負い、病気の薬で副作用にも見舞われ、自殺も考えたほど。親は離婚し、仕事も干されたりした。30代に入ると、結婚詐欺にも遭い、そこからヘアヌード写真集で巻き返そうとする。そんな過去を自伝『すれっからし』(1999年)で告白し、そのあたりから毒舌女優として再び脚光を浴び始めるのだ。

『すれっからし』には、昔を知る演出家の和田勉から「亡霊」「全然別の人」と呼ばれたことで、子役時代の栄光を捨てられたことも書かれている。

《わたしは死んだ。そう思うと身体中の力が抜けていくかのように、気が楽になった。(略)新しいわたしが生きればいいのだ。自由に生きればいいのだ、と自分にいいきかせた》

 もともと彼女は毒舌系で、子役時代には女優に挑戦したキャシー中島に対し「おねえさん、だめね。女優に向いていないわね」と言って、落ち込ませたという。妹からも「トーク番組とか、素顔でしゃべる番組に出ちゃだめ。性格が悪いのがすぐにわかるから」と釘をさされるほどだったが、その「素顔」がウケることになるのだから、人生はわからない。性格が悪いのではなく、正直なだけだったのだろう。

 飯島さんと杉田、第4世代というべきふたりの登場で“毒舌黄金時代”はひと区切り。これが落ち着くと「エンタ芸人」のブームがやってきた。『エンタの神様』(日本テレビ系)で人気に火がついた青木さやかはさしずめ第5世代。かつて、春やすこ・けいこは聖子をネタにしたが、青木の矛先は女子アナだった。もてはやされる女子への嫉妬もまた、毒舌の源泉なのだ。