アルコールに溺れて妻・景子さんにあたり……

 父子、そして家族に不協和音が流れ出したきっかけは何だったのか。すべての始まりは優一氏が靴作りの勉強のため、イタリア・フィレンツェに単身留学していた今から7年ほど前にまで遡る。

「父と母の離婚にも関係してくるのですが、そのころから家庭内は崩れ出していました」

 原因は酒だった。貴乃花が、急速にアルコールに頼るようになったという。

もちろんそれまでも飲んでいましたが、父の酒量がもうめちゃくちゃに増えだして。毎日毎晩、水1滴すら飲まずにワインをボトルで3~4本を空けるみたいな飲み方になって。ただそれでも、父が仕事に真摯に全力で取り組む姿や、家の外で戦っている姿を誇らしく感じていましたので、僕たちは最初のうちは心配しながらも“飲みすぎには気をつけてね”というところでした

だが、貴乃花は酔いに任せて、妻・景子さんに強く“当たる”ことが増えていく。

'15年の春ごろでしたが、イタリアにいる僕に妹から電話がかかってきたんです。泣きながら“もう無理だよ”“パパのママへの態度がひどすぎて”と。妹たちは当時、小学生と中学生でした。両親の大ゲンカに耐えられず電話をしてきました。ほとんど泣いたことがない妹からの電話でしたので、ただごとではないと翌日、飛行機に飛び乗って、父と母の仲裁に帰りました。父が抱えきれないほどの苦しみの中で戦ってきたことは、家族がいちばん理解しています。ただ、父には母しか甘える人がいなかったということです

 母と妹たち、そして父を案じた優一氏は、「修行後もイタリア国内で生活する」予定を変更し、日本へ帰国する。'15年10月のことだった。

 だが、優一氏が帰国しても家庭内の状況は変わらなかった。それどころか、貴乃花のアルコールへの依存ぶりと景子さんへの“目に余る態度”はエスカレートし続けた。

父が母に対して、息子と娘が隣で聞いてられないような、母の人格を否定するような言葉を浴びせることが増えました。母は普段どおり食事やお酒を給仕しているだけ。どう考えても普通のモラルとしてありえませんでした。そういうことが何年もずっと続いたんです。母はその中で、いつも笑顔で堪えていました

 そうなる前までは、たとえ夫婦ケンカしても愛娘たちが「パパがひどすぎ!」ととがめれば、「そうか。ママごめんな」と、自分の非を認められる父だった。だが、その父はとうとう自分自身を制御できない状態になってしまう。

『週刊女性』のインタビューを受ける花田優一
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あるとき……'17年の年明けだったと思いますが、家族で食卓を囲んでいて。ダイニングに母ができたて料理を運んできたんです。すると父が突然キレて、そのアツアツの料理を母に投げつけて。一歩間違えたら大やけどです

 その瞬間、優一氏の堪忍袋の緒が切れた。

“ふざけるんじゃねぇ! いい加減にしろよ!”と。あんな言葉遣い、それまで反論もしたことがない中で、あの瞬間だけです。それでも、父の態度や行為が改善されることはなかった

 ちょうどそのころ、優一氏は靴職人として日本で活動をスタート。テレビ番組などにも出演し始めていた。東京・品川区内の高級住宅街にある実家から徒歩数分のところに部屋を借りて、ひとり暮らしをしていた。景子さんと妹たちの心身を案じた優一氏は、その小さなワンルームマンションに3人を一時的に匿った。

「“パパが落ち着くまでここにいて”と。家族4人で小さな部屋で生活をすることになりました。その間に、僕と父できちんと話をしたいと考えていました。“今の状態では母と妹たちを家に帰せません”、そのためには、“お酒をやめてもらえませんか”ということを納得してもらわないといけない、と」