“一生の仕事”を模索、30代半ばの挫折と改名

 声優への道は、高校卒業後、北海道から上京してサラリーマンになるが“一生の仕事”を考えるようになったのがきっかけ。

19歳のとき会社勤めに慣れてきて一生の仕事は何か、ほかにあるんじゃないかと思うようになったんです。子どものころは無口で、人と話すのが苦手。思ったことを口に出せないタイプでした。そんな性格だったので会社に入ってお得意さんと会うのも、人とのコミュニケーションも苦手でした」

 そんなとき、たまたま手にした劇団員募集のチラシを夜な夜な見ているうちに夢が膨らんだ。

テレビのない時代に育ち、年1、2回見るのが娯楽だった映画の役者になりたいと思うようになりました。積極性がない男が、どきどきしながら応募して(入団OKの)返事がきたらまたどきどきしていたので結果、入団しても何もできない。でも1年間は通うと決めていました」

 1年で辞めたが、先輩の紹介で所属した劇団ではCMの仕事が次々に舞い込んだ。

「インスタントラーメンやビール、全国展開する大手小売チェーンのCMに出演しました。当時、4畳半の家賃が1か月4500円でしたが(CM出演料は)6000円でした」

 その後23歳のとき、先輩に誘われて声優の仕事を始めた。

声優も役者の一部、経験だと思ってやるようになったのがきっかけです」

 『タイガーマスク』でデビューして以降、『ゲッターロボG』『一休さん』『サイボーグ009』など人気アニメのレギュラー声優を担当し、順風満帆な生活を送っていた。

 しかし、30代半ばに挫折を味わった。

「家の購入ローンを抱え、3人の子どもがいましたが、レギュラーの仕事がなくなってアルバイトや内職でしのぐ生活。行き詰まっていましたが、新たに就職先を探す気にもなれませんでした」

 気持ちが下向きだったという生活は3年近く続いたが、38歳のとき再起を図るために本名から芸名にした。米国の喜劇役者バスター・キートンから命名した。

「改名することに事務所はじめ関係者は猛反対でした。子どもにも“カッコ悪いからやめてよ”と言われて、賛成する人はひとりもいませんでした。思い切ったことをしないとダメになると焦りました。葛藤があったからこそ今があると思っています