型に縛られない芸風

 スター街道を突き進む渡辺だが、その原点は茨城県石岡市で過ごした幼少期にあった。幼稚園から中学校まで一緒だったという幼なじみの男性は、当時から人気者だったと振り返る。

小学生のころから“吉本の芸人になりたい!”と話していて、たしか松田聖子さんのモノマネが得意だったと思います。仲のいい友達を集めて、放課後にモノマネを披露していました

 高校には進学せず、吉本の養成所に入る資金を稼ぐため、3年間アルバイト生活を送った。ファミリーレストラン『夢庵』でバイト仲間だった女性は、彼女の勤勉な仕事ぶりを覚えている。

'19年には同窓会で肩を組み笑顔で写真撮影も
【写真】渡辺直美のパスポート写真(10歳)がかわいい

「連日、頑張っている姿が評価されて、若いのにバイトリーダーを任されていました。ただ、バイトの現場でも、テレビに出ているときのような感じでふざけてましたよ(笑)。仲よしなスタッフのモノマネなんかをよくしていましたね。“吉本の養成所に入る”っていつも口にしていて、明るい性格で従業員やお客さんの間でも人気者でした

 このころから、ファッションやアメリカの音楽に対して興味を持ち始めた。

“お笑いで食べていけないかもしれないから、そのときはアメリカとか海外に行きたい”と話していました。洋楽にハマっていたみたいで、当時から“ビヨンセが好き”って言っていましたね。ファッションも大好きで、雑誌を読みまくっていました」(同・バイト仲間の女性)

 10代のころに語っていた夢が、すべて現実になっているから驚きだ。しかし彼女の母親は、芸人になることに反対していたという。

「働いた後、みんなでまかないを食べていると、楽しくてついつい夜遅くなってしまうことも。まだ10代だった直美さんを心配して、お母さんが迎えにきたこともありましたね。心配性な感じだったので、芸人の道へ進むことに反対したのもわかります」(同・バイト仲間の女性)

 それでも反対を押し切り、東京へ。養成所で勉強を始めるが、地元に戻ってくることも多かった。

「“とにかく劇場で必死に頑張ってる”とか“ライブ見にきてよ”と言ってましたね。芸人さんの話はそんなにしなかったけど、テレビに出始めたころ“今田耕司さんが自分の芸を気に入ってくれたんだ〜”って、とてもうれしそうに話していたのが印象に残っています。

 急に帰ってくることもあって、3、4年前にはショッピングモールのフードコートに突然現れたなんて話も聞きました。会ったときには会話の内容も昔と変わらないし、まったく飾らない感じです」(前出・幼なじみの男性)