終戦直後、旧旧吹上トンネル黒沢口側の手前に小さな居酒屋兼住居があった。

「そこに住むおばあちゃんとお嫁さんが殺されたんです。犯人は中央線に乗って逃げましたが、ワイシャツに血がついていたことを不審に思った人が通報し、逮捕された。物取りによる犯行でした」(前出のAさん、以下同)

 2人が殺害されたのは建物内。トンネルは関係ない、という。現場には2歳になる被害女性の娘が残されていた。

 祖母と母を一度に亡くした娘はこの地を離れ、現在も都内の別の場所で暮らしている。

「縁あって数年前に彼女から土地を借りました。あのトンネルは私たちにとっても悲しい記憶があるんです」

 妻の母、Aさんの義母のことだ。大正初期、義母は2歳直前で養子となった。

 養父はだらしない男で借金を繰り返し、養母は身体が弱く働けなかった。義母は10歳前から旧旧近くにあった反物を作る家に奉公に出された。

「毎日トンネルを通って奉公先と自宅を往復したそうです。朝起きたら自宅に帰り、家事と食事の準備。仕事が終わったら今度は夕食を作りに戻り、奉公先に帰る。夜、トンネルは真っ暗で怖い。だからおばけのように髪を振り乱しながら通っていたそうです

 義母はそんな生活を16、17歳まで続けたという。

「養子に出されたとき、実父は泣きじゃくる義母を引きずりトンネルを通ったそうです」

 Aさんは涙ぐんだ。

 泣きながらトンネルを往復したのはAさんの義母だけではなかったのかもしれない。

 日本が貧しかった時代。子どもたちの悲しみがいつしかおばけにかわり、後世に伝わったのではないだろうか。

地元住人のリアルな声

 やがて不確かな噂だけが残り肝試しスポットになった。

 おまけに、Aさんの土地にも無断で入ってくる人がいる。

「以前、2人の冥福を祈るために地蔵をつくったんです」

 その地蔵は見物人によって破壊された。

Aさんはゲートを設置。だがカギを壊したり、有刺鉄線を切って侵入する人は後を絶たない
【写真】トンネル手前、電柱に書かれていた“メッセージ”

「いたずらが多くて困っています。ゲートの扉の鍵は壊す。トンネルの鉄板の扉はこじ開けようとする。私の仕事道具が下のトンネルに投げ捨てられていたことや、盗まれたものもありました……。“入らないで”と私が言えば“見に来て何が悪い”とか逆ギレされたこともあります

 ゴミや大量のライター、焚き火の痕跡があったこともある。

亡くなった家族をおばけと言われて、遺族は悲しんでいます。高齢者の中には“夜来る若者たちが怖い”とおびえたまま亡くなった人もいました。昼間、ちゃんと会いに来てくれれば私も真実をお話ししますよ。黙って夜中に来て、いたずらされるのが困る

 前出の吉田さんが明かす。

「実は心霊スポットと呼ばれる場所の99%がもともと何も起きていない場所。事件が起きた所のほうが少ないんです」

 肝試しで人が集まり、事故が起きることもある。人が亡くなれば「たたりだ」と言われ、ホラー度は上がり、印象が強められる──。

「被害者やご遺族には申し訳ないですが、私は心霊スポットを訪れること自体は否定しません。恐怖を共有することで友情を深めたり、大人になるための通過儀礼的な役割もあるんです。ただし、周囲の人に迷惑をかけないことが大前提です」(前出の吉田さん)

 だが、その願いもむなしく、迷惑をかける人は年々増えているのが現状だという。

「廃墟や怪談が好きなわけではないのに、稼げると知ったユーチューバーらがどんどんやってきてしまう」

 番組を盛り上げるため騒ぐ。近所の人が通報する。その番組を見た若者が訪れ騒ぐ、再び通報される、という負のループが繰り返されている。

 吹上トンネルに幽霊は出なかった。そこには家族を大切にする人々が悲しい過去と向き合いながら生きていた。

怪談師・吉田悠軌さん

お話を聞いたのは……
怪談師・吉田悠軌さん
怪談サークル『とうもろこしの会』会長。怪談の収集やオカルト全般を研究。著書に『禁足地巡礼』(扶桑社)、『一生忘れない怖い話の語り方』(KADO
KAWA)など著書多数。執筆のほか怪談ライブや講演も行う。