29歳になる2012年、仕事は絶好調だったにも関わらず、単身渡米する。

「結局、約2か月間アメリカに行きました。最後にニューヨークに行ったときに、どの街より楽しくて“私が住む場所はここだ!”と直感しました。でも帰国後、すぐに渡米したい旨を事務所やレコード会社の方々にお伝えしたら“まだ一緒に日本で仕事をやろうよ”と言ってくださって。考え直してデビュー10周年を迎えるまでは日本でお仕事をして、それからアメリカに行こうと決めました」

海外で日本語で歌いたい

 2013年にジャズドラマーの清水勇博と結婚し、2015年に出産。翌年からは活動拠点をニューヨークへと移している。

2010年9月には、都内で自身初となるギャラリー展を開き、ファンの前で『トイレの神様』を生披露した
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私が今、いちばんやりたいのは“海外で日本語で歌を歌う”ことです。アメリカでも定期的にライブをしているのですが、だいたい日本語の曲と英語の曲が半分ずつのセットリストで歌うようにしています。日本語だからこそ作り上げられる世界観やメロデイーラインを聞いていただくために、まず興味を持ってもらうことが大事なので、英語でも歌うようになりました」

 もともとは“英語を理解して極める”という思いが強かったはず。なぜ日本語で歌いたいと思うのだろうか。

「洋楽っぽい音楽を日本人が演奏しても、やっぱり本家にはどうしても勝てないじゃないですか。ネイティブじゃないし、マネしても勝てない。そこで、何が武器なのかを考えたときに、日本語って日本にしかないものだから、海外の人はマネできないなと気付きました。

 私は基本的に歌詞から曲を作るんですけど、英語の歌詞から生まれるメロディーと、日本語の歌詞から生まれるメロディーって全然違うんです。それは日本文化の1つなので海外に広めたいし、日本のいろいろなものがもっとグローバルになったらいいなと思います。私は、音楽という文化でその入り口を開いていきたいんです」

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