5月上旬から取り壊しが行われている市川海老蔵の生家。亡き父・十二代目團十郎さんとの“思い出の地”とも呼ばれた場所を手離した背景には何があったのか。取材を進めると、彼が実現させたい新たな歌舞伎役者のスタイルが見えてきて──。

市川邸解体の理由は……

「5月初めくらいから、工事の人が頻繁に出入りしていまして、家の解体工事をしているんですよ」

 近所の住民が話すのは、市川海老蔵(43)の生家のこと。東京都内の一等地にある豪邸だ。

初めはリフォームをするのかと思っていましたが、そのうちショベルカーも来て、外壁も取り壊し始めたんです。5月下旬には、海老蔵さんが息子の勸玄くんを連れて工事を見にきていましたね。

 土地は不動産会社が買ったらしいので、近所では“跡地には戸建てか低層マンションが建つのでは”なんて噂しています」(同・近隣住民)

 今年ちょうど築60年を迎えたばかり。海老蔵にとっても幼少期を過ごした思い出深い家である。

「市川邸は'61年に先々代の十一代目市川團十郎さんが建てました。当時は300坪の土地に部屋は9つ。稽古場もある豪勢なお屋敷でした。しかし、家が完成した4年後に先々代は病気で逝去してしまったんです」(梨園関係者)

 家督を継ぎ、この屋敷の主となったのは当時19歳だった十二代目團十郎さんだった。

「資金づくりのため'70年代に土地を半分売ったりしましたが、'77年には跡継ぎとなる海老蔵さんが生まれるなど、市川邸は戦後の成田屋の歴史を刻んできました」(スポーツ紙記者)

 十二代目團十郎さんも、過去の雑誌インタビューで《この家で初めてちゃんとした稽古場ってものを持った》と語るなど、思い入れが強かったようだ。

 順風満帆の市川家だったが、思わぬ不幸が訪れる。