つまり、アグネスは“ママタレの元祖”でもあった! このように、アグネスの活動は次第に社会性を帯びていった。'86年には信州大学の客員講師に就任している。

「私、デビューが早かったので『女子大生になりたい』という憧れをずっと持っていました。勉強というより、新しい知識が脳に入ったとき『なるほど!』って興奮するアハ体験が好き。私はアハ体験を求める中毒っぽいですね」

 また、「いつまでも日本語が上手にならないのではなく、今は日本語がペラペラ」という都市伝説もある。

「私自身はいつもペラペラだと思っているんですけど、この前ラジオで自分がしゃべっているのを聴いたらやっぱり訛ってるなあと思って(笑)。でも下手なのではなくて、訛ってるだけ。明石家さんまさんがずっと東京にいるのに標準語をしゃべれないのと同じです!」

「多くの外国人タレントから『ボス』と慕われている」という都市伝説も。

「ボスではなくて『シスター』とか、若い人は私のことを『ママ』と呼んだりします。グループみたいなものを作っていて、カイヤさんやパックン、ボビー・オロゴンといった有名人から売り出し中の人まで、みんなで助け合ってます。デーブ・スペクターも誘ったんだけど、『私は外国人じゃないし、外国人が苦手だから。みなさんでやってください』だって(笑)」

平和活動への貢献

 アグネスといえば、ボランティア活動も有名。現在は国連機関UNICEFの東アジア太平洋地域親善大使だ。

ユニセフハウス・オープニング記念式典で当時皇太子の徳仁さま、皇太子妃雅子様と談笑(’01年7月)
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「『小さいころから奉仕の心を植えつけなければ』と、歩きながら募金活動をするイベントに長男と参加したのがきっかけでした。

 すると、『アグネスさんですよね』とすぐにばれて、そこからシンポジウムの司会などで声が掛かるようになったんです。その後『大使になってくれないか』という依頼を受けました」

 '07年、アグネスの人生に暗雲が立ち込める。初期の乳がんが発見されたのだ。

「手術して9日目、退院した翌日に芸能活動を再開しました。宣告されたとき、三男はまだ小学生だったので『せめて、義務教育の中学校を卒業するまでは……』と思いました。

 子どもは思春期が過ぎたらひとまず落ち着くから、それまでは生きたい! という一心でしたね。でも、おかげさまであれから10数年。子どもたちが与えてくれた力で頑張れました」

 アグネスは、3人の息子たちを全員スタンフォード大学に入学させた。