明るい笑顔と愛ある言葉で、多くの人を励ますアンミカ(49)が誰にも言えずに抱え込んできた“不妊治療”への取り組み。母になることを夢見て、必死に身体と向き合った4年間から得られた「宝」とは──。

「悩みなく能天気なキャラに思われることもあるのですが、人生でつらいことも受け入れて乗り越えてきたからこそ、幸せを見つけるアンテナを磨いてこれた。だから今“幸せだ”と感じることができているのだと思っています。

 夫との今の幸せを語るうえで、不妊治療の末に子どもを授からなかったことは大きく影響しています。この経験は自分自身の気持ちの整理ができるようになったら話したいと、ずっと考えてきました。似たような経験をしてきた方に何かのきっかけやヒントになれることかもしれないと、思えるようになったんです」

 今や“アンミカブーム”といっても過言ではないほど、テレビをつければ彼女の明るい笑顔を見ることができる。モデルのほかにも、コメンテーターやキャスターとして、歯に衣着せないストレートな物言いでありながら、決して人を傷つけない懐の深さが幅広い世代から支持されている。

自然妊娠は厳しく、人工授精をすすめられる

 ポジティブで前向き。そんな言葉がピッタリの彼女だが、「あのころは霧がかかったようになっていました」と振り返る。

 アンミカが、イベント制作会社を経営するアメリカ人の夫と結婚したのは2012年。40歳のときだった。

「その年齢で結婚すると真っ先に話し合うのは子どものことだと思うんですが……。夫は最初、子どもはいなくてもいいよ、でも子どもがいたらいたで幸せだろうな、という感じだったんです」

 その一方でアンミカは強烈に子どもが欲しかった。しかし、仕事もちょうど軌道に乗ってきていた。大阪から上京して2年。通販番組の仕事でも大きく売り上げを伸ばしているときだった。

「それを休んで妊活に入るのは惜しい気持ちもあったし、私の中に迷いもあり、あえて夫婦で積極的に子どもの話はせずに自然に授かればうれしいという気持ちでいました」

 ところが1年たっても自然妊娠せず、そこで初めて婦人科のドアを叩いて、妊娠しやすい時期を医師にアドバイスしてもらう、『タイミング療法』を受け始める。

「半年間トライしてみたけれど、ダメだったんですよ」

 もうすぐ42歳になろうとしていたころ、そこでようやく自分の年齢を鑑みて、「もしかしたらできないのかも……」という不安がよぎり、精密な検査を受けることに。

「その結果、子宮奇形だったんですが、卵管も通っているし妊娠は不可能ではないと。ただ、AMH(抗ミュラー管ホルモン=卵巣に成長中の卵子がどれだけあるかを測るもの)と、FSH(卵胞刺激ホルモン=原始卵胞の発育を促す作用をする)の数値が自然妊娠には厳しいとのことで、人工授精をすすめられたんです」

 そこで改めて夫婦が、子どもという問題に真摯に向き合うことになる。

「これまでのことを夫に話して、人工授精をしたいと伝えると、意外にもすんなり“いいよ”と言ってくれたんです。“君への愛情が深くなって、愛する人との子どもがいたら、どんな人生だろうって想像するようになった”と」