“たわいもない話をする難しさ”を知る

 青木さんと母が距離を縮めたのは、死の直前。母が悪性リンパ腫によって入所したホスピスでのことだ。

「親元を離れて上京したときも、娘を出産したときも、自分の中で母への気持ちが変わるかもしれないという期待があった。でも、無理でした。 自然に母への好意を持つことはどうしてもできず“仲直りをしよう”と強く意識して行動することでしか、関係を変えられなかったんです

 青木さんは仕事の合間を縫い、週に1度は愛知県内のホスピスへ面会に出向いた。

「今日は“いい娘じゃなくてごめんね”って謝ろう。今日は手をマッサージしてあげよう。毎回“ミッション”を決めて、クリアできるように努力しました。そのなかでいちばん難しかったのは、“たわいもない話をする”ということ。それって“いい空気感”が必要なんです。和やかでなければ叶わない。でも、母とは何十年もの間、ギクシャクとしていたので、どうしても空気がどんよりとしてしまって」

 そのよどんだ空気を変えるため、青木さんは役者としての経験を生かした。

「舞台のお仕事では“登場と同時に場の空気を変えてください”なんて言っていただくことがありまして。母の病室でも最初は演技でしたが、和やかな雰囲気をつくって、世間話をすることができた。最終的に、母とはいいお別れができたと思います

 真正面から母と向き合ったことで、自分に変化が生まれたのだ。母との軋轢の改善は、青木さんに課せられた使命だったのかもしれない。

「例えば友達に愚痴を言ったら、その場はスッキリする。でも、根本的な解決ではないな、と思っていて」

 ならばつらくても自分のイヤな部分にちゃんと目を向け、一瞬でもいいから反省するほうが前に進めるのではないかと考えるようになった。

「実際、私はそうすることで母との問題を解決できましたし、ラクになったんです」

 それは“あくまでも私の場合ですが”と語る青木さん。100人いれば100通りの母娘関係がある。

「嫌いな親に対して“こうしたらいい”とかでなく、ただ“こんなケースもあるよ”と思っています」

 という青木さんも現在、小学6年生の娘の“母”だ。

渾身の書籍を小6愛娘に“やばい”と笑われ

「母から“勉強しなさい”と言われて育ったので、娘には“勉強なんてしなくていい”と言ってきたんです。でも、あるとき娘に“勉強しなくていいっていうことを押しつけないでほしい”と言われました。結局、私は母と同じことをしていたんですよね」

 本書には、愛する長女への思い、2人の日常や、執筆中に励ましの言葉を受けたことなど、母・さやかとしてのいい話も満載だ。しかし本が刷り上がったのちの後日談があった。完成した書籍を見た娘は“憎んでたんじゃない、愛されたかった”という帯の一文を見て爆笑したのだ。

“やばい”“え、なにママ、ソレどんな顔で言ったの?”って思いっきり笑われましたね。娘は私のことをダサいと思ってるんだろうか……はは。小学生の子たちが読んだら、どう思ってくれるんでしょうか(笑)」

 小学6年生になった娘からの評価には大いにへこんだものの、周囲からの評判は上々だ。

「おかげさまで私は街で声をかけていただく機会も増えました。その一方で、有名になることの怖さも感じています。かつて、自分を取り巻く状況があまりにも変わりすぎてしまい、私自身と“青木さやか”という商品のバランスを取ることが難しくなってしまった。仕事は好きなのに、“私のことは忘れてほしい”という思いも、どこかにありました

 だが、ちょうど連載を始めた1年ほど前から気持ちが変わりつつあるそうだ。

「心身ともに元気になるにつれて“またがんばりたいな”と思うようになった。だから、連載や本の執筆にも前向きになれました。有名になるのは今でも怖い。でも、一匹狼のような、かつての私じゃない。今は信頼できる仲間、友達、そして娘がいる。がんばれます

 500万部売りたい、と豪語する“作家”としての青木さんは、本当にきっと瞬く間に有名になってしまうだろうと予感した。