ペコとの3年間の同居生活

 ペコがそのころ住んでいたのは、ボロボロの木造のアパート。その2階に家賃を折半する形で彼女との共同生活が始まった。雨漏りする家だったから、2人して洗面器や鍋を置いて、ぽたぽたと天井からしたたり落ちる雨露をしのぐなんてこともあった。

 当時のペコは大人ぶって、「PEARL」(パール)という、当時人気のタバコを愛煙していた。私にも「吸いなよ」なんて声をかけてくれて、一緒に吸うマネをした。そんなたわいない日々が楽しかった。

 その後、2人してほど近い新築のアパートに引っ越した。といっても、電話もお風呂もない新しいだけの部屋だったから、よく2人で銭湯に通っていたっけ。「あなたのは広くて不公平ね」なんて言いながら、ペコの背中を流していたけど、まさか後年、ドラえもんになるなんて夢にも思わなかった

 あのころは、養成所の男友達はいても、ボーイフレンドなんていない。デビューしたばかりで無我夢中。そのただ中、私が20歳のとき、父が結核で亡くなってしまった。まだ未成年の弟妹たちを引き受けるため、私は若葉町へ引っ越すことになったのだ。ペコとの3年間の同居生活は、長い人生で考えれば短い時間だったかもしれない。でも、一瞬だからこそ輝かしく、楽しく、忘れられない青春の入り口だったのかも。

冨士眞奈美●ふじ・まなみ 静岡県生まれ。県立三島北高校卒。1956年NHKテレビドラマ『この瞳』で主演デビュー。1957年にはNHKの専属第1号に。俳優座付属養成所卒。俳人、作家としても知られ、句集をはじめ著書多数。

(構成/我妻弘崇)