「がっちゃんを通わせたくない」

 がっちゃんが14歳のころ、家族で日本に帰国した。神奈川県川崎市の公立中学校の特別支援学級に通うことになった。夫婦でいくつかの放課後等デイサービスに見学に行って驚いたという。

「あまりにもアメリカの学校と印象が違う。暗い」

 アメリカの教室はデザインも洗練されていて、開放的な空間に子どもたちが楽しそうに通っていた。しかし、帰国して見学に行った放課後等デイサービスは、ゴムマットが敷かれたフロアに折り畳みのテーブルがポツンと置いてあるだけ。部屋は飾りもなく寂しい。スタッフも元気がない。空気も澱んでいるように感じた。

「こんなところにがっちゃんを通わせたくない。療育は学校だけで十分。放課後くらいはがっちゃんが楽しめる場所、自閉症の子どもたちが楽しく過ごせる場所がないと」

 そう思った典雅さんは、日本で転職活動中だったが、「探し回るよりつくったほうが早い」とすぐに思った。

 典雅さんは、グラフィックデザイナーから始まり、ヤフー・ジャパンのマーケティング、東京ガールズコレクションのプロデュースなどさまざまな仕事を手がけてきた。

「アメリカで教育の大半を受けたので英語は使いこなせるけど、日本では、高卒だということで転職がままならない時期もありました。突然仕事を失ったことも、収入が途絶えた時期もある。しかし、どんな状況に追い込まれても立ち上がってきた。怖いものはありませんでした」

 最初の利用者はがっちゃんを含め3人。スタッフは典雅さんや共同経営者、妻の祥江さんも含め7人。立ち上げのころからのがっちゃんを知っている三枝倫代さん(56)もそこにいた。

「出会ったとき、がっちゃんは14歳。150センチくらいだったかな。とにかくパワフルで頭の回転が速いので、次々にいろんなことを思考して、行動に移していくんです。絵を描くこともあったけど、ほんの数分チャチャッと描いたらすぐ次のこと。しかも大人から見ると困ったいたずらばかり。掃除機を教室の前の川に投げ入れたこともあった。吸引力が落ちていたので捨てたかったんでしょうね(笑)。さすがにスタッフが慌てて回収しました」

 ここでのルールは何もない。やりたいことをやらせてあげてほしい。「すべての個性をハッピーに」。それが『アイム』の運営方針だった。

「その子がやっていることを制止せず、フォローする。そのほうが子どもたちが伸びることを私も子どもたちに教わりました。子どもたちも『アイムに来ると楽しい』と言ってくれます」(三枝さん)

 がっちゃんや通っている子どもたちの成長に合わせて、アイムの事業は高校やグループホーム、生活介護や就労支援などに広がった。

放課後等デイサービス『アインシュタイン』で、一緒に過ごした仲間たちと高校の卒業祝い。中央左がGAKU、右隣はノーベル高等学院の同級生
放課後等デイサービス『アインシュタイン』で、一緒に過ごした仲間たちと高校の卒業祝い。中央左がGAKU、右隣はノーベル高等学院の同級生
【写真】夢中で絵を描くアーティスト・GAKU、鮮やかな色合いの作品たち

 ココさんががっちゃんと関わりはじめたのは、今から4年半前。中学校を卒業したがっちゃんのために、アイムが立ち上げたノーベル高等学院(現在休校中)でのことだ。以来、ココさんは午前中はノーベル高等学院のスタッフとして、午後は放課後等デイサービスに移動して「がっちゃん」担当として、ほぼ一日中ともに過ごすようになる。

「がっちゃんはアイムでいちばん大変だとみんなが言っていました。でも、最初見たときに、この子おもしろいなって直感的に思ったの。キラキラして只者じゃない感じ。『ココさん』って名前もすぐに覚えてくれた。でも、初めのころはお試し行動があって、どこまで自分を受け入れてくれるか、いろんなことをやって私がどこまで信頼できる人間かを確認するんです」

 突然外に走って出て行ってしまったときは、慌てずにココさんが建物の入り口でがっちゃんが帰ってくるのを待っている。そうすると、うれしそうに戻ってくる。しばらくして納得するとまた次のお試し行動が始まる。そんなやりとりを何度も繰り返し、関係性をつくっていったという。

「がっちゃんは頭がよくて、こちらが話すことは大体わかってくれる。でも、自分の思いを伝えられない。だからときどき爆発しちゃうんだろうなって。何か彼の思いを表現する方法が見つかるといいなとずっと思ってました」