中森明菜の初期の代表曲『少女A』『十戒(1984)』『1/2の神話』や、チェッカーズの人気曲『涙のリクエスト』『星屑のステージ』をはじめとして、ラッツ&スター『め組のひと』、菊池桃子『Say Yes!』、矢沢永吉『PURE GOLD』など、数々の大ヒット曲を生み出してきた作詞家売野雅勇

 以前、売野は週刊女性PRIMEのインタビューで《明菜ちゃんは、僕が主人公(=明菜)を想像して書いた物語を遥かに超えていくからね。(中略)あれは、計算というよりも本能で表現しているんじゃないかな。天才的だよね》と、明菜が作り出す世界観を絶賛していた。

筒美京平が荻野目洋子をリクエスト

 そして、売野が中森明菜と並んで“表現力のある歌手”として挙げたのが荻野目洋子だ。荻野目は1984年にデビューし、'85年末のシングル7作目『ダンシング・ヒーロー (Eat You Up)』で大ブレイク。売野は翌年に発売した次作シングル『フラミンゴ in パラダイス』を皮切りに、『六本木純情派』『ストレンジャーTonight』など、オリコンTOP10にランクインした9曲の作詞を手がけている(うち3曲が1位。麻生麗二名義で作詞した『スターダスト・ドリーム』を含む)。

「荻野目さんは一見、不器用そうだけど、何を歌っても“切なさ”の成分がある。そして、おとなしくて上品で、ちゃんと育てられた人ならではの“哀愁”もただよう。何かへの渇望みたいなものが、どの歌にも強く出ていて、彼女の人生が宿っているように聞こえるんだ。だけど、どの歌も品位を損なわない。そこが素晴らしい」(売野雅勇・以下同)

 確かに、筆者が'14年に荻野目にインタビューした際も、1秒でも長く画面に映りこもうと自己アピールする昨今のTVタレントとは対照的に、ひとつひとつの質問に対して真摯に受け答えする彼女の姿に、ストイックに生きるトップアスリートに近いものを感じた。よって、その印象にも納得がいく。売野は'20年に亡くなった作曲家・筒美京平についても、驚きのエピソードを教えてくれた。

「実は、荻野目作品は京平先生から書きたいって言われたんだ。何作か(彼女への作詞提供が)続いていたころ、先生から“荻野目さんに曲を書きたいから、レコード会社に頼んでくれない?”って言われて。だから、'87年発売のアルバム『246コネクション』は先生の希望から生まれたんだ」

『246コネクション』は、売野雅勇によるプロデュース。国道246号沿線及び避暑地に関するタイトルや歌詞が中心のコンセプトアルバムで、収録された11曲のうち10曲を筒美京平が作曲している。青山界隈やリゾート地を舞台としたバブルに向かうまばゆい景色が、洋楽のエッセンスを取り入れたメロディーと、当時のファッションを凝縮した歌詞のすみずみから感じられる名盤だ(オリコン週間最高位2位、年間25位)。

 荻野目洋子の売野雅勇による作詞曲が続いた'86年末から'87年春ごろまでの筒美は、少年隊『バラードのように眠れ』『stripe blue』、中山美穂『WAKU WAKUさせて』『派手!!!』、C-C-B『ないものねだりのI Want You』、本田美奈子『Oneway Generation』、小泉今日子『水のルージュ』と、オリコンTOP3級のヒットを大量に生み出していた。そんな多忙を極めた充実期に、更なるヒット作りに挑んでいたとは、筒美の飽くなき探究心には驚くばかりだ。

「俺が作詞、京平さんが作曲して『246コネクション』ができたわけなんだけど、どれも曲がいいよね! その中の『軽井沢コネクション』はシングルのつもりだったのに、(荻野目洋子が所属する事務所・ライジングプロの)平哲夫社長から“これじゃまだ弱い”とダメ出しされてしまって。そこで、追加で書いてもらったのが『さよならの果実たち』という曲なんだ」

 先行シングルとして追加で書かれた『さよならの果実たち』('87年6月発売)は、真夜中の都会をさまよう若者の心の渇きを歌ったミディアム・ナンバーだ。荻野目が力強くも切なく歌うことで、その孤独をより際立たせ、日曜日に発売とオリコン集計が不利ながら、シングル12作目にして初のオリコン1位を獲得した

「京平先生は、荻野目ちゃんをヒットさせる自信があったんだと思う。次のシングル『北風のキャロル』(同年10月発売)が完成したときなんか大満足で、“やっぱ僕たち、プロだよね~”って笑っていたんだよ」

『北風のキャロル』で第18回『日本歌謡大賞』の放送音楽プロデューサー連盟賞を受賞した荻野目洋子(1987年)
『北風のキャロル』で第18回『日本歌謡大賞』の放送音楽プロデューサー連盟賞を受賞した荻野目洋子(1987年)