“いじめられた”側のインタビューも
載せる計画だったが…

『サルでも描けるまんが教室』(相原コージとの共著)などの著書で知られる編集者・ライター・漫画原作者の竹熊健太郎氏だ。彼は小山田に続く連載第2回で“いじめられっ子”側として登場している。

「当時私も『クイック・ジャパン』の執筆者の一人であり、ライターだった村上清氏と、編集長の赤田祐一氏のこともよく存じています。『いじめ紀行』の第2回で村上氏からインタビューされ、子ども時代の“いじめられ”体験を中心に話しました。

 小山田さんのインタビューは、雑誌が出てから知りました。正直、身障者をいじめた内容は愉快ではなく、さっと眺めただけで深く読んだわけではありません。今回この取材を受けることになって、初めてちゃんと最後まで読んだくらいです。

 当時の『クイック・ジャパン』は“シブヤ系”と呼ばれた若者が主要読者層のひとつであり、小山田さんはシブヤ系の教祖のような人気がありましたので、編集部としてもそのようなカリスマのインタビューが取れたなら、絶対に載せたかっただろうなと思いました」

 竹熊氏は、小山田と逆の立場である“いじめられ”体験を雑誌で語ることについて、当時どのように考えていたのか。

「取材者の道徳観や安易な価値判断をその場で振りかざすことなく、いじめた側・いじめられた側の双方に取材していじめを考えるという企画そのものはユニークで面白かったと今でも思います。私が中学時代にいじめられていたということは、それこそ『クイック・ジャパン』で別の文章として発表したことがありますから、それを取材したいということは自然で、村上氏や編集部なりにバランスを取ろうとしたのだな、と思いました」

 今回問題となっている“告白”が、雑誌で平然と掲載されることについては、当時の時代背景が大きい理由だったのだろうか。

「当時でもいじめた側が取材に答えるということは稀で、しかも小山田さんのようなスターがあのような談話を実名で語ることは非常に珍しかったと思います。Twitterで私はうっかり'90年代に流行った“鬼畜系”“悪趣味系”の言葉を出してしまいましたが(編集部注・7月18日のツイート)、『クイック・ジャパン』自体は必ずしも鬼畜系・悪趣味系の文脈で編集された雑誌ではありませんでした。

 あのようなテーマをことさらに露悪的に扱うことは、当時は『クイック・ジャパン』のようなマイナー誌ではよくありましたし、ある意味では今も続いていると思います。

 その意図は、あえて一般的な道徳とは反対の立場を取ることで、世間の“良識”や“道徳”の欺瞞性に疑問を投げかけるということがあると思います。そのため、こういった記事を書くときにはライターに高度なバランス感覚が必要になります。

 小山田さんのインタビューは、もともとは彼に“いじめられた”側のインタビューも載せる計画で、記事を読むと実際に接触を試みた経緯も書いてありますが、結果は断られています。

 いじめられた側にしてみれば思い出したくもない過去でしょうし、無理やり取材してもセカンド・レイプになってしまいますから、これはそうとうに時間をかけて、いじめられた側とコンタクトをとり、信頼関係を築いてから取材する慎重さが必要だったと思います。それができた上で小山田さんのインタビューをすれば、まったく異なる記事になったでしょう。その意味では、慎重さを欠いた記事だったと思います。

 結果的に取材に応じているわけですが、初めは小山田さんも躊躇しています。また、元記事を読むと担当ライターの村上氏と編集部は単に“いじめ自慢”を助長しようとしていたわけではないことがわかるんですが、結果的にいじめられた相手の談話が載せられなかったことで、小山田氏の一方的ないじめ自慢と受け取られても仕方がない記事になってしまいました。

 だから私は、記事そのものをボツにするか、いじめられた相手の取材ができるまで、掲載を延期するべきだったと思います」