母の願いをかなえてあげたくて

 聖火台が移設されている「夢の大橋」へ。当初は「オリンピックプロムナード」として海外からの観戦客らが集まるエリアになるはずだった。しかし、感染対策のため自粛が呼びかけられ、立ち止まらないようプラカードなどでうながしている。

《ほかの方とのフィジカル・ディスタンスを確保し、肩を組む、ハイタッチなどの接触は避けるようお願いいたします》

 とアナウンスも。

 聖火台の前にはまばらに20人程度。心配するほど密ではないし、ハイタッチするテンションではない。カップルや夫婦、仕事仲間などで聖火台を背景にスマホで何枚か記念撮影し、おとなしく帰っていく。

 ボランティアの男性は、

「土・日曜はこの3倍くらい来るんですけどね」

 と話す。

聖火台にカメラを向ける人たち。遠目からしか見ることはできない
聖火台にカメラを向ける人たち。遠目からしか見ることはできない
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 聖火台を見に来た年配の女性とその家族に話を聞いた。

 都内で暮らす女性は現在85歳で、1964年の東京五輪開催時は28歳。見物に付き添っていた長男(57)が生まれたばかりで生観戦することはできなかったという。

 女性が当時を振り返る。

「それでもね、当時は、こんな東京に世界中から選手が集まってオリンピックをするなんて夢みたいな話だったんです。女子バレーボールの決勝で日本が懸命にプレーして金メダルをとったことは今でも忘れられない。今回の東京五輪はどの競技がどうということはなくて、五輪に出るのにどれだけ努力してきたのだろうかと思いながらテレビ観戦しています。東京でやっているんだから聖火台をどうしても見たかった」(85歳女性)

 オリンピックイヤーに生まれた長男は言う。

「母は“○○したい”などとめったに言わないんです。コロナは心配でしたが、息子としては母の願いをかなえてあげたくて」

 聖火台を見た女性は満足そうな表情で帰っていった。

◎取材・文/渡辺高嗣(フリージャーナリスト)

〈PROFILE〉法曹界の専門紙『法律新聞』記者を経て、夕刊紙『内外タイムス』報道部で事件、政治、行政、流行などを取材。2010年2月より『週刊女性』で社会分野担当記者として取材・執筆する