父方の祖父母である上皇ご夫妻とは、これまで多くの時間を重ねることができた眞子さん。しかし、母方の祖父母との交流は少なかった。

紀子さまを嫁がせた後、川嶋ご夫妻は必要以上に皇室に立ち入ることを避けてきました。秋篠宮邸への訪問や、ご一家と面会することすらも、控えていたといいます。

 長年、学習院大学に勤めていたため“皇室と民間人の住む世界は違う”と、人一倍理解していたのだと思います」(宮内庁OB)

紀子さまが嫁いだ朝の出来事

 大学では馬術部の部長を担当していたこともあった。

「馬術をご趣味にされていた上皇陛下など、皇室の方々と最小限の交流はあり、秋篠宮さまは当時、紀子さまの第一印象について“川嶋教授と雰囲気が似ている”とおっしゃっていました」(同・前)

 皇室をよく理解していた川嶋さんは、秋篠宮さまと紀子さまのご婚約が正式に決定した日には、娘に礼節のあるコメントを送った。

「紀子には皇族としての責務をしかと自覚し、自覚のもとに自重し、自覚に照らし合わせ両陛下に対して尊敬申し上げ、礼宮さまのご指導のもとに新しい家庭、宮家の中で気負うことなく人間性を結実してくれればと願っています」

'89年8月、秋篠宮さまとの婚約内定後、川嶋辰彦さんとともに初めて報道陣の前に出られた紀子さま
'89年8月、秋篠宮さまとの婚約内定後、川嶋辰彦さんとともに初めて報道陣の前に出られた紀子さま
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 自宅にテレビやマンガ、雑誌を置かないという教育方針のもと“まじめで”“礼儀正しく”“温かく”をモットーに紀子さまを育ててきた。

「旅行はもちろんのこと、父娘で美術館へ足を運ばれることもありました。学生時代は大学内で待ち合わせて、一緒に帰ることも多く、仲のよい父娘だったと聞きます。皇室へ嫁ぐ朝、自宅を後にされる紀子さまに対し、川嶋教授は送り出すその手をいつまでもふりやめなかった……。その姿には、涙してしまいました」(前出・宮内庁OB)

 こうして幕を開いた紀子さまの皇室生活。まさか、これほど波瀾万丈な日々を過ごすとは思われなかっただろう。

「眞子さんの結婚問題が混迷を極めていた時期、紀子さまは近しい関係者に“娘を守れていませんね……”と、漏らされていたこともありました。

 結婚当日も複雑なお気持ちを抱えておられたと思います。大切に育ててきた長女の結婚を、多くの国民が納得し、祝福してくれる状況で送り出すことができなかった……。自責の念は、今も紀子さまを苦しめていると拝察します」(皇嗣職関係者)