今年で開業70周年を迎えた『東映京都撮影所』。かつては役者やスタッフ、隣接する『東映太秦映画村』の来場者であふれかえった町も、時代の流れやコロナ禍によって閑散としてしまった。そして今、『水戸黄門』や『科捜研の女』など、数々の名作を生み出した聖地に、ちょっとした異変が起きている―。

「今の映画界の土壌からすると、この規模の本格的時代劇はなかなか作られづらい現状です……」

 現在公開中の映画『燃えよ剣』の舞台挨拶で、このように語るのは主演の岡田准一だ。

「昭和の時代に映画やテレビで人気を博した“時代劇”というジャンルも、'11年にTBS系の『水戸黄門』が終了してからは民放のレギュラー枠が消滅してしまいました」(スポーツ紙記者)

CG発達により「必ずしも京都でなくていい」

『水戸黄門』シリーズは43年間にわたって京都撮影所で制作された
『水戸黄門』シリーズは43年間にわたって京都撮影所で制作された

 お茶の間から遠ざかる時代劇だが、そんな世相を反映してか、こんな話も聞こえてくるように。

「京都の太秦にある『東映京都撮影所』が存続の危機に陥っているというんです。このままでは、数年以内に閉鎖せざるをえなくなるなんて声も……」(製作会社関係者)

 多くの時代劇が生まれた太秦の歴史は、大正時代に当時の剣劇スターだった阪東妻三郎が撮影所を創設したことから始まった。

「東宝や松竹など続々と撮影所が建てられるようになり、映像制作の聖地となりました。'51年に3つの映画会社が合併して東映が誕生し、運営した撮影所の名称が『東映京都撮影所』に。'75年には撮影所の横に『東映太秦映画村』もオープン。年間の観光客数は250万人を記録し、京都の一大観光名所になりました」(映画ライター)

 敷地面積2万坪以上という巨大なスタジオと、映画村の2本柱で運営を続け、順調に業績を伸ばしていったが、娯楽の多様化で時代劇というジャンルは徐々に縮小。そして'20年初頭に世界を襲った新型コロナウイルスの直撃がさらなる追い打ちをかけた。

「ただでさえ減少傾向にあった映画やドラマの制作が軒並みストップ。外国人に人気の観光地だった映画村も、客足が激減しました。以前から、東映は東京の練馬区にある『東映東京撮影所』だけで十分という話もありましたが、京都撮影所の経営不振によって現実味を帯びだしました」(前出・製作会社関係者)

映画村は五輪観光客を見込んでいたが、コロナ禍で幻に
映画村は五輪観光客を見込んでいたが、コロナ禍で幻に

 京都という立地は利便性の面から見ると、どうしても東京に及ばない。

多くの俳優が東京に住んでいますから、京都での撮影は、出張費や滞在費で余分に費用がかかります。京都ならではのロケーションも、CGの進化で必ずしも京都でなければならないというわけではなくなりました。加えてコロナによって県外移動も問題視されるようになりましたからね」(同・製作会社関係者)

 この地で撮られていた長寿ドラマの終了も、撮影所の苦境に拍車をかけている。

「テレビ朝日系列のドラマ『科捜研の女』シリーズは今シーズンで、『遺留捜査』シリーズは来年秋で終了すると報じられました。定期的な仕事がなくなるのは大きな痛手ですよ」(テレビ朝日関係者)