いわば“あばれるちゃん”キャラの暴走に巻き込まれたかたちだが、本人もそのキャラを持て余しているように見える。前出の「殺してえ」騒動の際も、謝罪の前にこんなツイートをしていた。

「えんじょう????何それ。あたしいつもこういうハメになるなぁ。フツウにしてるつもりなんだけど。ネットってこわ~」

 通行人の嫌みにキレるくらいなら「殺してえ」も言わないほうがいいと思うが、自分のなかに棲む「鬼」を抑えられないのが、彼女にとっての「フツウ」なのだろう。その「フツウ」と世間の「フツウ」にはズレがある。ただ、だからこそ『月光』のようなフツウじゃない傑作も生まれるわけだ。

 そういえば、今回の謝罪では直筆文の書き損じも話題になった。「ご迷惑おかけしました」と書いてから「迷惑」と「おかけ」のあいだに「を」を無理やり雑に書き入れ、そのまま公表したのだ。

 これについて『ワイドナショー』(フジテレビ系)では東野幸治がこんなコメントをした。

「鬼束さんらしくてなんかいいな、ともちょっと思ったり」

 なんとなく共感する人もいるのではないか。こうしたズレが個性的な創造につながるところも、芸能の面白さである。

 とはいえ、逮捕までいくと、芸能生命にも関わってくる。自分のなかの「鬼」とうまく付き合いながら、活動を続けてもらいたいものだ。『月光』を使っているあばれる君のためにも。

PROFILE●宝泉薫(ほうせん・かおる)アイドル、二次元、流行歌、ダイエットなど、さまざまなジャンルをテーマに執筆。近著に『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)『平成の死 追悼は生きる糧』(KKベストセラーズ)