コンサートに暴走族がやってきて……

 不良だったことがデビューにつながった。

「不良のたまり場だった戸塚のゲーセンにいたら、そこの大将がデビュー前だった横浜銀蝿の知り合いで。コンサートのチケット150枚の配布を頼まれて高校で撒いて、友達と行ったら会場でスカウトされたんです。“絶対ダマされてるよ”って言われてましたけど(笑)。1年半くらい銀蝿さんについて荷物持ちをして、ギターのレッスンを受けました」

 '81年に横浜銀蝿の弟分としてデビュー。同年にTBS系ドラマ『茜さんのお弁当』で俳優活動もスタートさせた。

「コンサートで歌って、ドラマに出て、サイン会して。忙しくて不思議な感覚でした。そのころ、モテて自惚れていたのでは? とよく聞かれますけど、そんな暇なかった。

 歌番組で女性アイドルの隣に座れたのが、唯一の自慢でしたね。生放送を見た学校の友人から“どうだった?”なんて聞かれたりして。河合奈保子さんはいい匂いがしたって話していました(笑)」

 トレードマークのふっくらリーゼントは、そのころから。

忙しかったことで、奇跡的に生まれた髪型です。行きつけの美容院で強めのパーマをお願いしてウトウトしちゃって、目が覚めて鏡に映った自分を見たら、当時のつのだ☆ひろさんみたいなアフロヘア(笑)。これじゃダメということでサイドを刈って、あのような髪型になりました

 目立ったことで、まわりの不良から狙われるように。

コンサートに暴走族がやってきて大変でした。ステージを下りて、そのまま会場の裏口から楽器搬送用の車の後部座席に乗ってホテルへ。それでも見つかって追いかけられたこともありました。

 当時の不良はみんな自分が1番だと思っていますから、嶋大輔を倒して“格”を上げようと思ったみたい(笑)

 芸能界でも警戒されていた。

『夜のヒットスタジオ』では、次の人の歌をほかの出演者と一緒に歌って紹介するのですが、相合傘で石川秀美ちゃんと登場する予定だったのに、急きょ西城秀樹さんに替わっていて。どうやら秀美ちゃんに警戒されて、同じ事務所の秀樹さんが替わりに登場することに。

 控室の大部屋でもいちばん奥に行かされて。ほかのアイドルに近づかないようにされていたみたいです(笑)

『横浜銀蝿+嶋大輔』のデビューシングル。当時はロックよりもアイドル好きだったそう
『横浜銀蝿+嶋大輔』のデビューシングル。当時はロックよりもアイドル好きだったそう

 人気が出てくると、バレンタインに4トントラック3台分のチョコレートが届いた。

「当時マスコミが作った“銀蝿一家VSたのきん”っていうライバルのような図式があって。僕は身長が183cmあってリーゼントだから、身長の高さをアピールするために、『夜ヒット』のエンディングで出演者たちが並ぶときに“田原の隣に行け”とか“近藤の隣に立て”とか言われました。銀蝿も当時は勢いがありましたよね」