この沖縄訪問では『国立沖縄戦没者墓苑』にも立ち寄られている。『沖縄県遺族連合会』元会長の照屋苗子さんに、その際の交流について聞いた。

「おふたりは墓苑に着くと、ご供花より前に私たち遺族にお声がけをしてくださいました。美智子さまからは“お元気でしたか”と優しいお言葉を。実は、お目にかかるのは5度目でしたので“覚えていてくださった”と思い、胸がジーンとしました。

 ご供花の後の帰り際にも再びお声がけをいただき、美智子さまは“お母さまはお元気ですか”と。まさか母のことをお尋ねになるとは夢にも思わず、とても驚きました。突然だったので亡くなっていることを申し上げられず、どうお返事していいかわからずに黙っていると、美智子さまから“お母さまにもよろしくお伝えくださいね”とおっしゃってくださり、本当に優しい方だと改めて感じました」

美智子さまのお言葉が一生の励みに

 上皇さまが特に心を砕かれてきたのが“忘れてはならない4つの日”。広島と長崎の原爆の日、終戦記念日、そして沖縄地上戦が終結した6月23日。平成の最後に、当時は天皇だった上皇さまによる記者会見でも、沖縄についての言及をされている。

「沖縄は先の大戦を含め、実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め、私は皇后とともに11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません」

'75年7月、初の沖縄訪問。沖縄国際海洋博覧会へのご参加とともに、沖縄戦遺族と交流
【秘蔵写真】ご成婚前、女子大生時代の美智子さまが美しすぎる

'75年の訪問時に周囲から反対意見が出る中、おふたりは「絶対に行く」という強い気持ちで沖縄の地に降り立ち、今日までその思いを絶やされていない。

「会見で具体的に県名まで挙げるのは珍しく、しかも天皇として最後の会見で言及されることに大きな意味を感じました。美智子さまとご結婚されてからの63年、おふたりは“天皇だから”ではなく、日本人として心を寄せ、言葉だけではなく何度も現地を訪問して、戦没者の慰霊や遺族と交流するという行動でお気持ちを示し続けていらっしゃるのです」(前出・皇室ジャーナリスト)

 前出の照屋さんによると、

「美智子さまは穏やかな眼差しでお声がけをしてくださり、私たち遺族に心を寄せてくださっていることが伝わりました。美智子さまのお言葉は一生忘れることができませんし、これからも生きていくうえでの励みになっています」

 ご高齢になり、時には外出を“中止”せざるをえない場面もあるだろう。しかし、「約束は果たす」と心に決めたおふたりがこれまで歩まれてきた道は、国民の心に響き続けている─。


山下晋司 皇室ジャーナリスト。23年間の宮内庁勤務の後、出版社役員を経て独立。書籍やテレビ番組の監修、執筆、講演などを行っている