1989年7月には近藤真彦との恋愛の果てに自殺未遂。事務所を退社し、年末には金屏風が飾られた“復帰会見”を行う。慕っていた人物による暴露本も発売され、大麻所持の疑いで自宅を家宅捜査。度重なる裏切りから人間不信に陥り、一部の人の言葉にしか耳を傾けなくなっていく。

 そう明菜が孤独を深めていくなか、1995年6月10日が訪れる。最も信頼していた千恵子さんが他界したのだ─。

「お母ちゃんの遺体を見たくない」

明菜は母が亡くなる前日、病院に来たんです。目にいっぱいの涙をためて、こぼれ落ちそうになりながら“お母ちゃん、明菜だよ”と声をかけて、手を握ってね。ただ、母は痛みがすごくて大量の麻酔薬を打っていたので、意識はありませんでした。明菜は次の日に仕事があるので帰ったんですが、それが最後に……」

 家族も、このときが明菜と会った最後となった。

「通夜も葬儀も来ませんでした。明菜の1つ上の姉が電話したときには“お母ちゃんの遺体を見たくない”と話していたと聞いています」

 ほどなくして明菜は中森家から籍を抜き、しばらくすると電話で話すこともできなくなった。2019年には妹の明穂さんが亡くなったが、明菜は葬儀にも現れず、今も家族との断絶は続いている。

「母が大好きでしたから、亡くなったという事実を受け入れたくなかったのかもしれません……」

 家族との関係を断つことで、元気だったころの千恵子さんとの思い出だけを抱きしめて、記憶のふたを閉ざそうとしているのか……。

「父はまだ入院していますが、健やかに過ごしていますよ。老人ホームに入所する予定ですから、誰も住まなくなった実家は売却することになりました。今、兄が手続きを進めています」

 過去の雑誌インタビューでは、母親の死についてこう語っていた明菜。

《今もお母ちゃんは清瀬の家にいてね、黙って私のことを心配してくれてる。なんかそんな気がするんです…》(『JUNON』1995年9月号)

 最愛の母親と過ごした場所も、消えてしまう─。