目次
Page 1
ー ヒット曲を歌う苦悩を抱えたことも
Page 2
ー 大学院で学生として「祭り」を研究中
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ー 織田哲郎は人生のフィクサー
相川七瀬(あいかわ・ななせ)1975年生まれ、大阪府出身。'90年、ソニーミュージック主催のオーディションに出場し、シンガー・ソングライターの織田哲郎と出会い、'95年11月、シングル『夢見る少女じゃいられない』でデビュー。以降、ヒット曲を連発し、'96年、アルバム『Red』が売り上げ270万枚を超える。'26年11月2日には、デビュー30周年のファイナルを飾る日本武道館公演を開催。現在は音楽活動と並行して、國學院大學大学院で「祭り」の研究も行っている。
相川七瀬(あいかわ・ななせ)1975年生まれ、大阪府出身。'90年、ソニーミュージック主催のオーディションに出場し、シンガー・ソングライターの織田哲郎と出会い、'95年11月、シングル『夢見る少女じゃいられない』でデビュー。以降、ヒット曲を連発し、'96年、アルバム『Red』が売り上げ270万枚を超える。'26年11月2日には、デビュー30周年のファイナルを飾る日本武道館公演を開催。現在は音楽活動と並行して、國學院大學大学院で「祭り」の研究も行っている。
【写真】『夢見る少女じゃいられない』ジャケットの相川七瀬が美しすぎる

 

 デビュー曲『夢見る少女じゃいられない』から30周年を迎えた歌手の相川七瀬。現在、コンサートツアーの真っ最中で、11月のツアーファイナルは武道館での公演だ。相川は「今の自分が一番楽しいです」と語る。

ヒット曲を歌う苦悩を抱えたことも

「デビュー当時は無我夢中で、目の前のことをこなすのに必死。プロデューサーの織田哲郎さんや周りの大人たちに引っ張ってもらっていました。でも30代からは自分で道を切り開かなければいけなくなって。自由だけど苦労しました。今は、その責任にも慣れ、ここ数年がミュージシャンとして一番充実しています」(相川、以下同)

 結婚・出産を経験し、織田のもとを離れ、子育てをしながら音楽活動を続けてきた。'90年代のヒット曲は時に重荷でもあったという。

「ヒット曲を歌うことで『昔の曲しかない人』と思われるのではないかという苦悩がありました。時流に乗ったあのころのようにもう一度できるのかと悩みました。でも、織田さんが作ってくれたあの曲たちを超えることは、そもそもできない。そうじゃないところで自分を探すべきだと35歳くらいから納得して、過去の曲も新しく作る曲も、同等に大切なものとして動き始めました」

 音楽活動の傍ら、人生の大きな軸となっていたのが子育てだ。

「30代は、自分の一番の仕事は子育てだと思っていました。3人の子どもたちのことを考える生活が充実していました。でも彼らが成長していく中で、『私はこの先どうするんだろう?』『アーティストとしてどう表現していけばいいんだろう?』と考えるようになって。そんなとき、バンドメンバーから『30周年は武道館でやろう』と言われました。当時は『武道館なんて無理だ』と思っていましたが、もう一度夢を見る力を与えてもらう中、今年その夢が実現することになりました」