“ゴールデンコンビ”が結成され、伝説が始まる

 ただ、嬉野さんは凹むことはなかった。何か確信めいたものがあったという。

「HTBに来て半年くらい見てて、藤村さんの作るものが飛び抜けて面白かったんですよ。『モザイクな夜V3』の中で雅楽戦隊ホワイトストーンズという戦隊モノのコメディードラマをそのへんの公園で撮ってて、ヒーローが気合の入った決めゼリフを言った後ろを買い物帰りの奥さんが歩いてたりするわけです。

 そんな緊張感のない状況をあえて背景に捉え、緊張感のある言い回しでギリギリのバランスを取っていることに感動したんですよ。僕はあまりやりたいことがない人間なので、これだけやりたいことがはっきりした人間と一緒にやるのが、僕はうってつけだと思ったわけです」(嬉野さん)

 伝説の始まりは“ついで”だった。番組当初、アン・ルイスさんの事務所からインタビューを撮りに来てほしいというオファーがあり、鈴井さん、大泉さん、藤村さんが東京に行くことになった。せっかく東京に行ってすぐ帰るのはもったいないから、ついでに帰りの行程を旅番組にしてしまおうという鈴井さんの発案で、『サイコロの旅』の企画が立った。

「やりたいことはないんです」と飄々と言葉を重ねる嬉野さんだが、常に面白いことを求めているオーラが感じられる 撮影/渡邉智裕
「やりたいことはないんです」と飄々と言葉を重ねる嬉野さんだが、常に面白いことを求めているオーラが感じられる 撮影/渡邉智裕
【写真】『水曜どうでしょう』ファンにとっての聖地

「僕だけ置いていかれるのは嫌で、藤村くんに“俺は?”って聞いたら、“あなた来るんだったらカメラぐらい回してくれないと困るよ”って言われて。家庭用のビデオカメラなら撮れる自信はあったので、“じゃあ撮るよ”と。それで僕はカメラ担当になったわけです」

 と嬉野さんは言う。聞き慣れない「カメラ担当ディレクター」という肩書はこうしてついたのである。

『サイコロの旅1』は、サイコロの出た目で行き先と移動手段を決め、目的地に到着した途端に次のサイコロを振って即移動というルールのため、深夜バスやフェリー、電車で4日間ひたすら移動し続ける過酷なものだった。

 初日に新宿を出発した深夜バスは愛媛県松山市の道後温泉へ。そこから特急電車とフェリーを乗り継ぎ大分県臼杵港から臼杵駅、特急で小倉、新幹線で新大阪、寝台特急で新潟(寝台チケットが3枚しか取れず大泉さんは自由席に座り移動)、そこからフェリーで小樽へ戻るという地獄のルート。

 この4日間回し続けた映像を本編わずか22分45秒の番組2本に収めてしまうという無慈悲な編集により、目的地の風景や食事のシーンは一瞬しか映らず、道後温泉での入浴シーンは2秒。

 
とにかく気持ちを切り替えて、サイコロを振り、落胆し、互いを責め、次の場所に移動し、急速に疲労困憊していく姿を見て視聴者は笑いながらも同情し、深く感情移入していくという現象が起きていく。