目次
Page 1
ー 沢田研二に憧れて
Page 2
ー 家族とのルーティンとは
Page 3
ー バラエティーは家族で取り組む
Page 4
ー 「病気を経験して、思考回路が変わった」

病気をきっかけに健康のためのルーティンを、毎日の生活にいくつも取り入れるようになりました。ずっと無頓着できたけれど、普通の生活ができるというのは当たり前のことではないんだと気づかされて─」

 TRFのDJでリーダーのDJ KOOは、こう語り始めた。5年前に受けた脳動脈瘤の大手術。バラエティー番組の人間ドック企画で9・8ミリメートルの脳動脈瘤が見つかり、医師からは「このままでは失明のおそれがある。破裂すればくも膜下出血を起こす」と告げられた。当時56歳で、人生で初めて直面する生命の危機だった。

沢田研二に憧れて

「1週間後には自分はこの世にいないかも。これまでしてきたことがすべてなくなるかもしれない。そう思うともうどうしていいかわからず、地に足がついていないかのような感覚を味わいました。でも体調自体はいつもとまったく変わらないんです。まさにサイレント・キラーです」

 家族に知らせたのは番組収録の帰り道。妻と娘は努めて冷静に事実を受け止め、できる限りの情報を集め、具体策を家族3人で話し合った。

 妻子の「一緒に頑張るから」との言葉に背中を押され、手術を決意。開頭し、頭蓋骨を削り、穴を開けて頭の半分にメスを入れた。6時間半に及ぶ手術は無事成功。リハビリに励み、2か月後に仕事に復帰している。

 高校時代はラグビー部でキッカーとして活躍した筋金入りの体育会系。もともと身体には自信があり、病気とは無縁の日々を過ごしてきた。音楽に目覚めたきっかけはというと、

「ジュリーです。沢田研二さん。あの色気に憧れて」

 少年時代はグループ・サウンズの全盛期。ジュリーがボーカルを務めていた『ザ・タイガース』のアルバムを手に入れ、それが洋楽との出会いのきっかけになったという。

「アルバムにローリング・ストーンズのカバー曲が収録されていて、そこで今度は洋楽にハマってしまって。スーパーギタリストになりたいという夢を抱くようになりました。ボーカリストというセンターの立場より、ギタリストのちょっと斜に構えた立ち位置のほうがカッコいい、というのが僕の美学としてあったんです」

 とはいえどうすればプロのミュージシャンになれるのか、情報もなければ手立てもない。一度は夢を諦めかけるが、高校を卒業しても就職する気になれず、社会に出る前の腰掛けと、語学の専門学校へ進んだ。当時はディスコ・ブームの真っただ中で、サークル仲間と遊びに行き、DJの存在を知る。