廃園寸前の動物園を私財で購入・整備

一般人からの持ち込みが大半というウサギ。人間の身勝手に振り回されていると山本さん
一般人からの持ち込みが大半というウサギ。人間の身勝手に振り回されていると山本さん
【写真】山本園長のことが大好きなヒグマのシュウ

 大内山動物園の前園長・脇正雄さんとは、数十年来の友人だった。2006年ごろに何げなく園に遊びに行くと、園は荒れ放題。理由は、経営難と脇さんが体調を崩していたことだった。放し飼い状態の動物もおり、手入れが行き届いていない小屋も多く、行政指導を受けることもあった。

動物たちは痩せていて、来てくれた子どもさんがショックで泣いて帰るぐらい環境が悪かった。“なんとかしなければ”と、餌を買ったり掃除をしたりして応援するようになりました」

 脇さんに「日本で一番汚い動物園から、日本で一番きれいな動物園にする」と誓った山本さんは、毎朝4時に自宅のある名古屋を出発して動物園に通い詰めた。自身が経営する会社の社員や協力会社、友人の協力も得ながら、少しずつ園の環境を整えていった。

 そんな中、脇さんは入退院を繰り返した後、2008年に亡くなってしまう。

「亡くなる1週間前に、脇さんを車椅子で動物園に連れてきたんです。きれいになった園や動物の姿を見て“素晴らしい、ありがとう”って喜んでくれたのはうれしかったね」

 脇さんの死後も、山本さんは動物たちの世話は続けた。

「いちばん心配だったのが動物たちのこと。いろいろと手を打ったけど、どこかに引き取ってもらえそうな動物は1割もいなかった。引き取り手がいなければ殺処分になってしまう。何年も通って世話してきた動物たちがかわいそうで、面倒見てやるかという気になったんだ」

 山本さんは私財を投じて園を買い取ったのち、動物園の休園を申請。山本さんが経営する会社の保養所にしようと考えていた。しかし、休日には休園中ということを知らない家族連れが多く訪れ、入園できないことを知って残念そうに帰る姿を目にするように。脇さんの家族や地元の人からの後押しもあり、柵や飼育舎などを整備し2009年に動物園として再オープンしたのだ。

 動物園を再興し、動物の命も救ってきた山本さん。根底にあるのは「動物は家族同然の存在だから」という思いだ。

「僕は九州生まれで、実家は海運業を営んでいました。船乗りのおじさんたちが、航海に出る前に“餌やっといて”と犬や猫、鳥、猿などいろいろな動物を連れてきた。家の中で一緒に走り回ったり世話をしたりしていたから、もう家族同然。だからこそ、苦しんでいる動物はどうしても見捨てられないよ」

 現在は週3回のペースで動物園に通っている。園に来た日は、必ずすべての飼育舎を回って餌やりをしながら、動物たちの健康状態をチェック。前述したライオンのリオンは、山本さんが檻に近づいた瞬間、猫のようにお腹を見せて寝転がった。動物たちは“命の恩人”である山本さんへ全幅の信頼を寄せているようだ。