擬似家族という共同体を描くときに大切にしていること

――三木孝浩監督は、ロバート・A・ハインラインの『夏への扉』を原作にした『夏への扉-キミのいる未来へ-』(2021年)を監督しています。同作でも舞台設定が近未来の日本に置き換えられていますが、脚本執筆段階で三木監督とはどのようなディスカッションがありましたか?

金子:三木監督が別の近未来物を演出されていることは途中で知りました(笑)。もっとも作品としてのスタート地点が違うので、脚本執筆は直接的な影響は受けませんでした。

 タングの描写に関しては、監督のこだわりを感じました。「この時点のタングはまだ言葉を話さず、この程度なんじゃないか」と、監督の中で見えているタングの動きや成長過程がありました。脚本の頁をたどって、その時点ごとに検証しながら修正しました。飛行機で映像を観る場面でタングは物凄く学習したことになっているんです。健と出会ったときには、赤ん坊のようにおうむ返ししかできなかったタングが、飛行機に乗ったあとは、言葉を覚え喋るようになります。

脚本家の金子ありささん
脚本家の金子ありささん
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――AIロボットが人間を支配するようになるディストピア小説や映画が圧倒的に多い中、人間とロボットの温かい関係性を描いています。

金子:そうですね。おそらくデボラさんが大事にされている擬似親子感に焦点をあてています。私や三木監督、田口プロデューサーの子育て経験を共有しながら、健とタングの関係性に育児の概念を反映させていきました。

 その意味では今までのAI物とは違うと思います。そもそもSFに興味がない方にも観ていただける間口の広さを意識しました。

――擬似家族感。健とタングの関係性は、友達とはいうけれど、それを超えた関係にみえる。金子さんのドラマではそうしたはっきりとした言葉では言い表せない関係性を多く描いてきたように思います。

金子:そうですね。

――言葉にならない関係性を描き、すくい上げた作品としては川口春奈さんと横浜流星さんが出演したテレビドラマ『着飾る恋には理由があって』を超えるものはここ数年でないと個人的には思っています。擬似家族という共同体を描くときに一番大切にしていることはありますか?

金子:脚本を書くときに常に思うのは、結局物語は、「誰かと誰かの何かの話」だということです。哲学的なテーマや時代性など、作品には強く込めなければならない概念はありますが、視聴者のみなさんは、何より人と人の話を楽しみに御覧になっていると思うんです。

 そのため『着飾る恋には理由があって』だと、隣同士になったふたりの日常に宿る感情をすくい上げています。日常の中の非日常です。本作では健とタングの再生の話ですが、人とロボットという非日常の中の日常を意識しました。人と人の何かが繋がる共同体の話という意味では共通点になるのかもしれません。

――原作には、「そんなタングが、人が持つ数ある複雑な感情の中で理解したものは、愛だった」とあります。金子さんは、「自分を見つけるから、誰かを愛せる」と非常にコンシャスなコメントをしています。

金子:健の場合、物語の冒頭で、自分を見失っています。その時点で、自分はどういう人間で、何をしたらいいのか分からない。自分の正体が分からないから、満島ひかりさん演じる奥さんの絵美とも向き合えない。自分をみつけることで地に足が着いてちゃんと誰かと向き合えるんです。自分がないときに、恋愛で麻痺させると共依存になってしまいます(笑)。

 そうした主人公の他者に体する構えをいつも執筆で心掛けています。例えば、私が脚本を担当した『中学聖日記』(2018年、TBS系)で有村架純さん演じる聖(ひじり)は、婚約者に引っ張ってもらうのではなく、自分の足で歩きだすからこそ、好きな人と対峙できる。まずは自分の足で立つということが重要だという思いを込めました。だから今回の健の迷い方も自分を見失っている状態から始めました。