目次
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ー 私が受け入れないと美咲が悲しむ
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ー 心の傷口に塩が塗り込まれた“嫌がらせ”

「ブログを(記事として)発表してください。これがもしかしたら、私から皆さんへの感謝の気持ちを伝えるのが、最後になるかもしれません」

 小倉とも子さん(39)から私に届いたLINEのメッセージとともに、更新されたブログが添付されていた。その文面には、これまでの空白期間を埋めるような思いが綴られていた。

私が受け入れないと美咲が悲しむ

「少しずつ時間が経つにつれ、もし美咲が家族の元に帰りたいという思いから、動物に頼んで自分の体の一部を運んでもらい、あの場所で一人で自分を見つけてもらえるのを待っていたのだとしたら…。母親の私がこのまま受け入れないと言い続けたら美咲が悲しむのではないか…と考えるようになりました」

 美咲ちゃんが大好きだった動物に運んでもらうという物語に、とも子さんの人柄が滲み出ている。

 山梨県道志村のキャンプ場で当時小学1年生の小倉美咲ちゃん=千葉県成田市=が行方不明になって今日で3年。母親のとも子さんは、3か月半ぶりにブログを更新した。

 道志村で発見された骨のDNA鑑定を受け、山梨県警が美咲ちゃんの死亡を断定したのは5月半ばだった。とも子さんは当時、その現実を受け入れられず、美咲ちゃんの無事を信じ続けてきた。6月3日に発表された前回のブログにその心境がこう書かれている。

「頭が真っ白になり何も考えられず、全く言葉が出ず、ただただ涙だけが溢れていました。あれから2週間以上が経ちますが、今でもこれが現実なのかわからず、受け入れる事ができず、残された可能性を考えてしまいます」

 以降、ブログもツイッターも更新されず、時間が止まったかのように、とも子さんの無言状態が続いた。これまで月に2回ほどのペースで山梨に通い、68万枚以上のチラシを印刷して探し続けたとも子さんにとっては、やはり受け入れ難い現実だった。それでも向き合い続けるうちに、少しずつ心境に変化が生まれたようだ。今回更新されたブログに、その複雑な思いが吐露されている。

「正直なところ、未だにわずかな可能性でもあるのならば美咲が生きて戻ってくる事を信じたいという気持ちもあります。ただ、この気持ちが美咲や長女を苦しめているのかもしれないとこの数か月ずっと葛藤してきました」

 信じたいという自分の希望と子供たちへの思いやり。その狭間で揺れ動きながら、とも子さんは子どもたちの気持ちに寄せていく。  行方不明になってからの3年間、とも子さんが美咲ちゃんの無事を祈りつつ、常にそばにいたのは今年中学生になった長女だった。当初は美咲ちゃんの「み」という言葉を耳にするだけで敏感に反応し、泣きじゃくるほどのトラウマを抱えていた。山梨のチラシ配りにも一緒に行けなかったが、発生から1年ほどが経過した頃、ようやく足を運べるようになった。少しずつ元気を取り戻したかに見えたが、小学校最後となる昨年、久しぶりにディズニーランドへ連れて行った時に、長女の口から出た本音に胸が締め付けられた。