「さやか星小学校」の設立を進める

 海外ではインクルーシブ教育が盛んで、学校全体の学力が上がるというデータもある。だが、日本では進学実績を気にする親が多いので、理解者をどう増やしていくかが今後の課題だという。というのも、近隣の廃校を利用した小学校の設立を進めているからだ。

 前出の川島さんの長男は来年4月には小学生だ。現状では特別支援学校か小学校の支援学級に進むことになる。両方見学に行ったが指導内容に開きがありすぎて、難しい選択を迫られている。

「特別支援学校だと勉強の時間は一日たった15分ですよ。後は学校探検したり、ブランコで遊んだり。学習面を伸ばしたかったら、支援学級のほうがいいのかなと思うけど、個別の工夫はしませんという感じでした。たぶん長男は授業についていけなくて、ほったらかしにされて終わるんだろうなと。今はちゃんと席に座っていられるのに、下手したら、離席癖がついちゃうかもしれませんね……」

 川島さん夫妻は長男の成長ぶりを見て、適切な教育を受ければ就労も可能だと考えるようになった。だが、このままでは未来が閉ざされてしまうと危機感を抱く。

 小学校ができるのを待っている親子は他にもたくさんおり、奥田さんは'24年4月の開校を目指して、準備を急ピッチで進めている。

 急ぐ裏には別な理由もある。実は奥田さん、4年前に皮膚がんの手術を何度も繰り返したのだ。

「悪性だと言われた瞬間、ああ、きたかと。実父も祖母もがんやから、全然、怖さはないです。いつか死ぬんやし。ただ、学校をつくるのも、のんびりやってられないなーとは思いますね。そう考えておくほうが、サボらずに早く、どんどん着手するでしょう(笑)。だから、自分の病気すら原動力になっていますね」

 小学校の名前は「さやか星小学校」だ。幼いころ別れた作曲家の父親に校歌を作曲してもらった。

 大手コンサルティング会社が無償で支援してくれているし、寄付を検討している企業もある。来月にはクラウドファンディングも始まり、広く一般の方々からの支援にも期待している。

 こうして、たくさんの人が応援してくれるのは、みんなよくわかっているからだろう。奥田さんは困っている親子を笑顔にしたい一心で動いているということを─。

取材・文/萩原絹代(はぎわら・きぬよ) 大学卒業後、週刊誌の記者を経て、フリーのライターになる。'90年に渡米してニューヨークのビジュアルアート大学を卒業。帰国後は社会問題、教育、育児などをテーマに、週刊誌や月刊誌に寄稿。著書に『死ぬまで一人』がある。