宿敵チェチェンがなぜ今ロシアの味方に

 コーカサス地方の北東部にあるチェチェンの人々は他のロシア周辺国家同様、大国ロシアと隷属と独立を巡る闘争を繰り返してきた。19世紀にはロシア帝国、20世紀にはソビエト連邦と侵攻されるたびに激しく抵抗し、1940年頃のスターリン時代には民族ごとカザフスタンやキルギスに強制移住させられ、スターリンの死後、帰還が許されている。

 1994年ソ連崩壊後、エリツィン大統領時代のロシア連邦からの分離独立を宣言すると、ロシアが軍事介入すると「第一次チェチェン戦争」が勃発、10万人の市民が死亡し、22万人が国外に流出したが、1997年にはロシア軍を撤退させ、勝利をおさめた。ラムザンの父・アフマド・カディロフも指導者として政権内部にいたが、国内の対立で政権から追放されてしまった。

 1999年「第二次チェチェン戦争」では、アフマドはかつての仲間を裏切り、プーチン大統領と手を組んで紛争を鎮圧し、傀儡政権の「チェチェン共和国」の大統領におさまった。

 2003年アフマドが暗殺されると、ラムザンは2007年に第3代大統領に就任する。

 プーチン大統領にとっては、エリツィン氏がなしえなかったチェチェン戦争の勝利で国内人気は上昇し、長期政権の礎となった。カディロフもまたプーチンありきの地位であることを重々承知しており、2010年には自ら役職名を大統領から首長にかえて、プーチンへの徹底的忠誠を示している。

 4人の妻を持ち、1億6000万ドルをかけた豪邸に住むといわれ、国際的な舞台で活躍する競走馬の馬主としても有名だ。

 格闘技やサッカーなどの球技を推奨する一方、映画『チェチェンへようこそーゲイの粛清―』に描かれているように「チェチェンにゲイは存在」しないと断言し、LGBTを迫害していると国際人権団体からも非難されている。